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「取り戻すべき生活」とは

愛知県三河地区の真宗大谷派の住職たちから「先生」と呼ばれている。岡崎市福岡町にある本宗寺の前住職、堀田護さんだ。本宗寺の住職とともに、真宗大谷派の三河別院で「列座役一臈」という重要な役職を務めた。数年前に役職を終え、この秋で79歳。豊富な知識や経験、熟練の語り口で、今もあちこちから招かれて法話をしている。蓮如上人や徳川家康など歴史上の人物ともかかわる本宗寺のストーリー、葬儀の背景にあるべき本来の生活の姿などを教わった。


「蓮如さん」の仮住まい

――本宗寺のある岡崎市福岡町では4月下旬に「土呂蓮如祭り」が開かれています。蓮如上人は、本願寺7代目存如上人の長子として生まれ、浄土真宗の中興の祖として知られる高名な僧侶ですが、身近な存在となっている土地柄なんですか。

「私も子どものころ、お祭りがあったので、蓮如さん、蓮如さんと楽しみにしていました。
本宗寺という名前を付けたのは蓮如さんです。親鸞聖人の教えを活発に布教活動していた蓮如さんは、比叡山延暦寺から反感を買い、身の危険が迫り、お弟子さんの如光の請いによって三河の国に来ました。その時に仮住まいとしてつくられたのが、本宗寺の始まりです。応仁2(1468)年、蓮如さん54歳の時のことでした」

――室町時代のお話ですね。

「その後、蓮如さんは現在の福井県の吉崎へ行かれ、お孫さんが本宗寺の住職となりました。この地域はお寺を中心に約2000戸という寺内町として繁栄しました。
だいぶ経って、徳川家康の時代になり、家康がお寺にたくさん貯蔵されていたお米に目を付けて、寄越せと言ったことから浄土真宗の寺院と対立して、一向一揆となりました。家康からすると、住職や家族の住んでいるお寺を攻めると世間の非難を浴びるが、大きなお寺だった本宗寺はそのころ住職が住んでいなかったので、見せしめに焼かれてしまった」

本堂内に展示してある江戸期の本宗寺の図

三重・松阪で復興、土呂に戻る

――三河一向一揆の悲運から、すぐに復興したのですか。

「土呂の地で復興させる動きはなかったのですが、住職の子孫が寺の名を残そうと、現在の三重県松阪市で本宗寺をつくりました。
一方で、江戸時代になって本願寺が東西分派した時、重要なお寺が全国に三つありました。その一つが本宗寺です。それぞれの地に西(現在の浄土真宗本願寺派)と東(真宗大谷派)のお寺を置くことになりました。東の本宗寺は松阪にあるので、岡崎に西の本宗寺ができました。しかし、元々の土呂の地にないので、松阪の本宗寺が土呂にあった小さな寺を本宗寺として守ってほしいとしたのが、このお寺です」

――岡崎市内に二つの本宗寺があるのは、そういう経緯なんですね。

「だから、この本宗寺には山門がないし、鐘撞堂もない。本堂も天井が高くて講堂のような建て方になっています。松阪の本宗寺本堂の飛び地ということだから、山門などをつくると独立したお寺になってしまうので。うちは下寺で、二つ合わせて一つということです。だから僕もしょっちゅう松阪へ行きます。
この本宗寺があるのは岡崎市福岡町ですが、年配の方たちには土呂(とろ)と言った方が通じます。かつては都へ通じる路という意味で『都路(とろ)』という漢字があてられて、要所として栄えていた地域でした。
蓮如さんがいて、にぎやかだった昔を思い出そうということで、蓮如忌が戦後に始まったと聞いています。蓮如祭りは商店街の方たちがやっています」

賑わう土呂蓮如まつり(平成初期。『写真集:福岡の歴史資料』から複写)

三河別院で若手のお世話

――時代にほんろうされた歴史があるんですね。ところで、堀田さんは真宗大谷派のお寺の住職のみなさんから「先生」と呼ばれています。

「本宗寺の住職を55年つとめさせていただき、現在は息子に住職をゆずり、前住職になりました。住職期間中に真宗大谷派三河別院で45年間、仕事をさせていただきました。
別院はどんなところかと言えば、京都の東本願寺以外の地に、本山に準ずるものとして建てられた寺院のことで、全国に52カ所、海外に3カ所、計55カ所あります。その一つが三河別院で、三河の真宗大谷派の寺院400カ寺のうちの255カ寺に支えられています。
私は三河別院で多くの若手僧侶の方々と生活を共にして、僧侶になるための勉強をさせていただきました。また、真宗大谷派の住職の資格を取るために学ばなければならないことを、三河別院の境内地にある岡崎教務所の真宗学院で学院生に教えていました。
もうひとつは、京都東本願寺で夏と冬の年2回、修練といって、全国各地にある住職修得のための学校を卒業してこられた方々に2週間寝泊りをしていただいて、住職になるための心構えを身につけていただくのですが、そのお世話を35年させていただきました。
そのような事で私のことを先生と呼んでくださるのではないでしょうか」

講堂のように天井が高い本宗寺の本堂(左)本堂に安置されている蓮如像(左)

――矢田石材店がお寺でのお葬式をサポートする「お寺でおみおくり」に賛同されています。

「企画されたものと、私たちの宗派の教えが一致したということです。本堂でお葬式をやりましょう、というのは、真宗大谷派の形から言うと、当然の姿です。お話を聞いて、これはもう本来の、真宗大谷派のあるべき姿の葬儀の仕方なんだということで、私自身も、もうそれは大変結構なことじゃないですか、ってことをお話し申し上げたんです」

お寺はみんなの「お内仏」

――あるべき葬儀の姿というのは?

「真宗大谷派ではお内仏を一番大切にしています。一般でいうお仏壇を、お内仏といいます。お内仏とは阿弥陀さまのお家ということです。そのお内仏の前での生活が真宗大谷派の基本です。
それゆえ、どこの家庭でも朝起きたらまず、お内仏の前で親鸞さまのみ教え正信偈和讃のおつとめをして、一日の生活が始まります。初物を料理した時にお内仏にお供えをし、よそ様からのいただき物をいただいた時も、まずお内仏にご報告をいたします。お正月、お盆、お彼岸、親鸞さまのご命日の報恩講も当然お内仏の前でおつとめをするのです。
亡き人をしのびつつ、阿弥陀さま、親鸞さまのみ教えに遇うのが真宗大谷派の生活の基本です。そして結婚式も葬儀式もお内仏の前で行うのです。

ならばお寺とは一体なんだろうか? といえば、各家庭にあるお内仏は個人の家のもの、それに対して、お寺とはみんなのお内仏なのです。お寺で結婚式、葬儀式を行うのは、みんなのお内仏の前で行うことですから、ごく当たり前のことなのです。お葬式等もお寺で行うのが本来の形なのです」

――そもそも葬儀はどんなものなんでしょうか。

「葬儀とは、『葬』と『儀』の合成語です。『葬』はお亡くなりになった方を送るということです。その送り方に、儀礼をもって送るということと、儀式をもって送るという送り方があるのです。
江戸時代以前は、一般の方の葬儀には儀式がなく儀礼が中心でした。私たちの生活は村落を中心とした共同体でした。そのため村落の長老または親族の代表の方が葬儀を取り仕切り、親族以外の方も参加して、亡き人を偲び、追悼する公開の式、今でいう告別式が中心でした。
私たちの人生にはいろいろなあいさつがあります。入学式の時は『お世話になります』とあいさつをし、卒業式の時には『お世話になりました』とあいさつをしますが、葬式の時にあいさつは自分ではできません。従って、誰かに代わって御礼のあいさつをしてもらう、それが葬儀礼です」

「あるべき姿」に気づく時

本宗寺の本堂

――儀式についてはどうでしょうか。

「一般の葬儀礼に、葬儀式が取り入れられるようになったのは、江戸時代に入ってからです。江戸幕府はキリシタン弾圧のため、キリシタンでないことを証明させるために檀家制度を設けて、檀家になった人の葬儀を僧侶に実施するように命じたのです。
一般の方の葬儀をしたことのなかった僧侶は困ってしまいました。考えた結果、それなら一般の方を僧侶の仲間と同じ形式で葬儀式をしようとなったのです。
一般の方の葬儀式を僧侶が行うようになったため、葬儀式に必要な葬道具を寺から貸し出すようになり、やがて寺だけでなく、村落でも葬道具をつくり、村落の人々が葬式の準備をするようになったのです。
その制度が昭和の時代まで続いていましたが、太平洋戦争以後、大きく変化しました。戦争で人手が不足してしまったのです。そして、代理として葬道具を貸し出す仕事をする葬儀社が誕生しました」

――葬儀社の誕生で、お葬式は変わったのですか?

「昭和30年代くらいから祭壇が華美になりました。葬儀では、身近な肉親関係より、社会的関係に重きを置き、亡くなった方の社会的関係が拡大することで、社会的地位を誇示するため体面を気遣うようになってしまいました。

その後、葬儀式そのものを大きく変化させた要因が核家族化と高齢化です。家族の規模が小さくなり、また高齢化ということから、家そのものの重要性が低下したことが葬儀の在り方にも変化を見せるようになってしまったのです。最近よく耳にする『家族葬』という言葉は1990年に東京の葬儀屋さんが発案し、宣伝した言葉です。また、この頃では『小さなお葬式』を盛んに宣伝しています。これらの葬儀社の機敏さが葬儀を大きく変化させているのでしょう。

そのような要因から本来の生活が乱れてしまい、この頃だとそれが当たり前のようになってしまいました。それはあるべき生活の姿ではないと気づくこと、葬儀はお内仏の前で、みんなのお内仏(寺の本堂)で行うということに気づくことが、大切なのではないでしょうか」

寺名:土呂殿 本宗寺
宗派:真宗大谷派
住所:愛知県岡崎市福岡町字東市仲69ー1


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。


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