毎日書く。 ただ毎日。 反応が無くても書き続ける。 諦められないのだろう。自分の書いた作品が「面白くない」という事を。 それを否定するように書く。しかし、書けば書くほど「面白くない」という事を証明する事になる。 それでも何故、書くのか。諦めたくないから。認めたくないから。 だから私たちは書くのだろう。「面白くない」の証左となったとしても。 「業に焼かれる」という言葉を思い出す。私はきっと焼かれている。全ての人間から与えられる「無反応」という無言の「面白
家の近くの茂みに、小さな社がありました。昔からあるのは知っていましたが、雑草やらツタやらに覆われて人が近寄れる状態で無かったのが、ある日急に市が除草剤を撒いたので僅かにその社が見えるようになっていました。 その時の私は、色々と行き詰っており、藁にも縋る思いでその社で手を合わせました。国道に沿って撒いた除草剤のせいか、道に面した社の右半分だけ草木が枯れていて、左半分は青々と茂っていました。草木と一緒に沢山の虫が死んでいたり、身体を仰向けにしてブルブル震えていて、気持ち悪かっ
「才能が無い」という言葉はとても甘い。 その言葉に全部の責任を乗せられるから。自身の努力不足、気力の減退、適当さ――そういうモノを、自身の「頑張らなかった」を全てその言葉で解決できる、とても甘い言葉だ。 でも負けてしまってもいいんじゃない? って最近はよく思う。 だってさ、そうは言っても君は毎日書く、時間を削って、本当は誰かと遊びたかったりゲームしたかったり、時には早く眠りたいし映画だって本だって読みたい。そういう時間を削って書く。書いたモノはどれくらいの人が読ん
私は小説を書いている。それはまーーーー読まれない。いや、読まれてはいるが、 10人? 20人? その程度にしか読まれない。俗に言う「ネットに無駄な情報を流す者」に値するだろう。 昔は、文字を書いて生活を――などと思っていたが、ここまで才能が無いとそんな事も考えなくなる。それよりもどうすれば生活が楽になるかばかり考える、文字を書くのはあくまで排泄だ。癖だ。する事が無いから書くだけだ。 時々、「もう辞めたいな」と考える。無駄な時間だから。その時間、もし僕が楽器を練
つい先日、私は転職した。転職先の上司とそりが合わず、パワハラを受けた。精神的に追い込まれ、メンタルクリニックに行くことになり、『適応障害』と診断を受けた。良くある話だ。 診断を受け、二か月ほど求職が出来るという診断書をいただいたが、今でも使うことなくそのまま服薬しながら働いている。これもよくある話だ。 とにかく死ぬことばかり(というか、楽になる事)ばかり考えている。 (このまま布団から出なくて済めばいいのに……) と良く思う。「なら診断書もあるんだから休めばいい
タケノコは美味しい。詰まるところ、それだけを伝えたい為だけにこの文章を書く。 つい先日、タケノコの水煮を大量に頂いた。思いがけず、もうそんな季節なのかと驚いたものだ。春は何かと忙しく心に余裕がない。そんな時にふと時の移ろいを思い出させてくれたのがタケノコだった。 水煮で頂いたタケノコは二つ。片方は細かく薄く切り、炊き込みご飯にする。なんてことない、簡単だ。炊飯器に適当に水を入れたら、そこに一合に対して50mlほどの濃縮出汁を入れる。その後さらに水を追加し、既定の量になる
追記:逋ス讌ス蜈ャさまと文字化けしてしまうため、再度書き込んでおきますが逋ス讌ス蜈ャさま、または螟ゥ驕薙?逾さまであり、皆さまも知っている方だと思います。 これも私の地元の話だ。分かる人には伝わるとは思うが、大きな病院のあるあの町だ。 そこで昔から伝わる逋ス讌ス蜈ャさまは、老人は縺雁、ゥ驕さまや縺願囎驕さまとも呼ぶが、私は逋ス讌ス蜈ャさまと呼ばれているのをよく耳にする。今の職場でもそう呼ばれているので、それがスタンダードだと思われる。 毎年4月になると逋ス讌ス蜈ャさ
令和5年10月、私の県は紅葉で賑わい始めたあたりの事だった。 地元の後輩である井村からラインが来た。 曰く『手を貸してくれませんか』との事だった。 当時、私は仕事で干されており、午後、パチンコ屋の駐車場でサボっている時だった。スマホでニュースサイトを見て回っていた時に通知が来た事をよく覚えている。 すぐさま、 『どした』 と返事を送る。すると間髪入れずにライン通話が来た。 正直、出るかその時迷った。その後輩というのは、高校を出て以来定職に就かず、ヒモ
もう時効だろうからこの話を書き残そうと思う。 これは私なりの贖罪であり、告白だ。誰が読まなくても、ここに書き残すことに意味があると思う。「書く」ことで許されたいのだ、秘密で無くしたいのだ。 これはもう十年以上前の話だ。当時、Twitterがそれほど市民権を得ておらず、公式アカウントの数も少なかった頃の話だ。 あの頃の私はmixiにハマっており、毎日のように日記を書き、皆にコメントを残し、交流を楽しんでいた。「二次元的」であったネットの世界が、人との交流を経て、「
こんにちわ皆さん、見出しに驚いたことでしょう。僕は正気です、良かったですね。 今回お送りする話は、マジです。僕は本気です。正気です、良かったですね。 本題に入りますが、【キリスト】、ご存知ですよね。クリスマスイブにチキンとケーキを貪りプレゼントを渡し合う敬虔な僕らなら常識かと思いますが、一応概要を記しておきますね。 【以下goo記事より引用】 [前4ころ~30ころ]キリスト教の始祖。パレスチナのナザレの大工ヨセフと妻マリアの子として生まれた。30歳ごろバプテスマ
僕は当時、中学生でした。当時、部活から帰ってくると夕飯まで寝るのが僕の日課でした。その日もいつものように夕方帰ってくると、1階のリビングで母がテレビを見ていました。 帰宅の挨拶をするとそのまま2階に上がり、自分の部屋に行き、着替えを済ませてベッドに潜り込みました。 ―― ―――――― どのくらい時間が経ったでしょう。僕は、はっと目を覚ますと部屋は真っ暗でした。ベッドの横の窓から見える外の様子も真っ暗で、「あぁ寝過ごしてしまったんだな」と、思いました。 部屋には時
僕は非常に飽きっぽい性分だ。どのくらいかと言うと、Twitterのアカウント作って半年すると投げ捨て、小説を書いてはサイトに投稿して1つ2つ書き終わるとアカウントごと闇に葬り、このサイトすら2年近く放棄してまた使い始める始末である。 その僕ではあるが唯一長く続いている趣味がある――筋トレだ。 元々はダイエット目的で始めた筋トレが、やればやるほど変わる身体、上がる重量、盛り上がる胸筋、”目に見える”とはこれ程までに人を意欲的にさせるものかと驚かせたものだ。 そして、
見苦しいタイトルで申し訳ないが、タイトルでピンときた諸兄も多いのではないだろうか? これは私が青年期から苦しめられた経験と、その原因を突き止めるに至るまでの物語だ。 始まりは高校生の頃だった。これまで快腸快便生活を送っていた。元々、たくさん食べる、たくさん動くのサイクルが出来ていた私は、1日3回ほど元気なうんうんをトイレにシュートする生活が常であり、便秘とは無縁だった。それが、人間関係、受験関係、家庭問題、当時の自分としてはそこそこのストレスを抱え込んだ結果、朝のこんにち
目が痒い。夕暮れの犬の散歩中、たわわに実った稲穂が揺れる畦道でふと気が付いた。そういえば今日は一日中、目の調子が悪かったような気がする。 自覚すると人の体とは面白い。目が痒くて痒くて仕方なくなってくる。左手に手綱、右手にスコップ、痒いのは左目。仕事から帰ってから、まだ手を洗っていない。どうせ散歩で汚れるからと横着したせいだ。もう無性に目が掻きたい。 しかし、先ほど愛犬の落とし物を処理したばかりだ。直接触れてはいないが、さすがに憚られる。だが、痒さは増すばかり、左目には何
はじめまして、空暮(からくれ)です。 以前は時間のある限り小説を書き、日々更新することを楽しんでいたのですが、ある時から更新することが億劫になり、小説を書いては電子の肥やしにする日々でした。気付くと小説を書いている時間よりも現実的な諸所の問題に時間を取られることが多くなり、いつしか書くこともやめ、毎日をのんべんだらりと過ごしていました。 それでも、多少の創作意欲が自身の中に燻っていることを自覚し、少しでも吐き出す場所を見つけてみようと思ってnoteに登録してみました