【八幡宮の謎に迫る⑨】「八」の由来とスピリチュアル的な意味とは?
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見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口哲也です。
「八幡神」の由来について
「八幡宮」は「八幡神(やはたのかみ)」を祀る神社ですが、その名の由来は「八本の幡(旗)」とされます。
なぜ、8本なのか?
これは「四方八方」の「8」と考えられます。
四方とは東西南北、八方とは東西南北に、北東、北西、南東、南西を加えた八方向のことです。現代では「しほうはっぽう」と読みますが、古代では「よもやも」といいました。
古代の数の数え方は「ひ、ふ、み、よ、ゐ、む、な、や、こ、と」です。
ちなみに、「よも山(やま)話」といいますが、これは「よもやも」が転訛(てんか/発音が訛って変化する)して「よも山」になったようです。
方角と干支について
方角は干支でも表し、十二分割して、北の「子(ね)」から始まって、南が「午(うま)」、アナログ時計の文字盤でいえば、0時が「子」、6時が「午」で、南北を結ぶ線を子午線(しごせん)といいます。
鬼門の北東は「艮(うしとら/丑寅)」の方角ともいいます。裏鬼門の南西は「坤(ひつじさる/未申)」です。南東の「巽(たつみ/辰巳)」と北西の「乾(いぬい/戌亥)」は、名前にも使われるので、聞き覚えがある人も多いでしょう。
ちなみに、鬼の頭に牛のような角があり、トラの皮のパンツをはいているのは、鬼が出入りする鬼門の艮(うしとら)が由来となっているようです。
また、桃太郎が鬼退治のお供にする「猿、キジ、犬」は、鬼門に対抗する位置の「申(さる)」「酉(とり)」「戌(いぬ)」が由来のようです。
十干十二支の暦は、飛鳥時代に推古天皇によって最初に作成されたと伝わっています。したがって、神功皇后や応神天皇の頃はまだ一般的ではなく、「八幡神」を祀る宇佐神宮が創建された頃には、渡来人によって伝えられていたと考えられます。
「八」という数の意味は?
「八幡宮」の「八幡神(やはたのかみ)」の由来となった「八本の幡(旗)」は、東西南北の四方と、北東、北西、南東、南西とを合わせて「八方」に立てられたと考えられます。八方の幡が、中央の天皇を護っているのです。
現代でも神事の際には「五色幡(青、黄、赤、白、黒)」や「四神旗(東は青龍(せいりゅう)、西は白虎(びゃっこ)、南は朱雀(すざく)、北は玄武(げんぶ))」が使われます。
「四神旗」は四方向を神獣によって護る意味合いがありますが、「五色幡」の場合には東は青、西は白、南は赤、北は黒、中央が黄で、四方+中央で五色となります。
「八幡」の場合も、八方の幡に中央の天皇を加えて「九」として、一桁の最大数を表すと考えられます。九月九日を「重陽の節句」というように、最大の陽数「九」は昔から重要とされてきました。
これについては「8+1=9」から連想するヲシテ文字からも読み解くことができます。
また、スピリチュアル的には、「1~8」が顕世(現世/うつしよ/見える世界)、「9」が境界、「10」が幽世(かくりよ/見えない世界/常世(とこよ))と考えます。このスピリチュアル的な観点から、天皇のマコト名について解説します。
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