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今日も普通の日

2021年を迎えました。今年は丑年。
毎年、年末年始の正月休みから成人式の3連休。
そしてその週を超えた1月の後半。

なんとなく昨年の11月ぐらいから始まる年末感、そしてあけまして状態からの山を下って緩やかに下りてきた感じがします。

我々、Marketing-Robotics株式会社は4日から仕事始めをし、今日でちょうど10日を迎えます。(今日と書きましたが、書いているのが18日です。公開された日と異なる場合があるのでご了承ください。)

さて、当社の中の人がどんな人なのか知っていただくために
皆で同じテーマでもの書きをし、発信しているこのnoteでございますが
今回のテーマは「変えたい!日本のこんなところ」です。

いやはや困りました。。。
小生、生まれてこのかた、異国に滞在したのは数日のみ、しかも最近のことでして日本がどこぞの異国と比べてどうかなどという講釈を垂れるのは
いささか違和感があり、すでにグロウバルに人生を送ってきた方からすると片腹を痛めてしまうことになりますので、ちょいと解釈を変えさせていただき「日本に住み続けて、よくよく考えたら違和感を感じるところ」ということでご勘弁を頂きたいです。

それってぇと、お前さんの「違和感」はなんだい?

はい、今回、ご紹介する私の違和感は「普通」です。
いや、僕も普通に多様している「普通」なので
よくよく考えた結果「普通」に違和感を覚えました。

今となっては昔の話ですが、僕が小学生のころ(おそらく3年生か4年生)
些細なことで普通が気になり始めたことから始まります。

確か、学年が終わる時に、クラスの記念に冊子をつくろうと誰かが言い始めその中に、クラスメイトに対するアンケートを取ろうというコーナーがありました。担当者はアンケートプリントをこしらえ、”帰りの会”でそのアンケートを配布しました。(これからはこうしたアンケートはGoogleFormとかになるんですかね。)

事前に、担任の先生に見せてからの配布ではなかったようで
担任の先生は配布されたアンケートをみて、担当者に問いました。
「普通って何?」と。
アンケートの内容は、よくあるものでした。
・朝起きるのがつらいですか?
・甘いものは好きですか?
・運動は得意ですか?
などなど。クラスメイトのことの統計をとるために十数個の質問があったと記憶しています。その解答が選択肢になっており

はい ・ 普通 ・ いいえ

でした。

この普通に担任の先生が問いを出したということでした。
担任は口ごもる担当者をみて、担当者以外にも聞きます。
「みんな、この普通ってどういうこと?」と。
担当者以上に、豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしていると
担任は特別授業を始めました。

特別授業:「普通なんてない」

その先生はアンケートの項目をもとに、それぞれに
「◯◯の甘いものは好きですか?の普通はなに?」とか
聞き始めます。
相手は小学生です。悩んで悩んで出てき来たのは
「普通です」という解答でした。
こうした押し問答が続き、アンケートを作った担当の女の子は
確か、泣いてしまったんじゃないかなと記憶するぐらい
なかなか熱の入った特別授業でした。

そして、この「普通なんてない」ということは理解しました。
あなたの普通も、米原の普通も十人十色。全く同じなんてことはありえないということです。この流れでくると、おそらく共感をいただけるのではと期待しています。

問題はここからです。

「普通なんてない」ということを理解しながら
このことを完全に袖に置き
日常で普通をまぁまぁ使っていることが問題です。
「普通に考えたら・・・」
「普通じゃない・・・」
「全然、普通のこと・・・」

会話の中で山程出すし、山程、聞きます。
でもよくよく考えると、普通は共有できないことを理解しています。

『普通』との付き合い方

更に、「普通」という言葉は忍者のように正体を煙に包む効果があります。

例えば
「会社で決められたルールを、普通は守る」
「会社のルールは、普通守る」
「普通の社員なら、会社のルールは守る」

いかがでしょうか?よくよく考えると、どれも正体を煙に包んでないでしょうか?

会社のルールを守るのは、「普通だから」ではありません。
その会社に「所属しているから」もしくは
その会社に「所属することを、あなたが選択したから」です。

普通ではなく、その選択をした個人の考え方に寄与するので
普通ではないのです。言い換えれば、
「会社に所属することを選択した人間」からしたら普通です。
会社のルールという表現でいくと、”選択”という意志がありますが
これが、男とか女とか社会人とか、誰しもに当てはまること、自分は選択したわけではないけど、そのカテゴリーに入る場合はもっとタチが悪い。
意志がないので、独自の普通を醸成してしまいます。
多くのトラブルはこの「独自の普通の醸成」をぶつけてしまい
価値観の違いだとか、些細な喧嘩などが発生するのではないかと睨んでいます。

これからは『普通』がいよいよなくなる時代

様々な企業が「ダイバシティ」を掲げています。
多様性です。僕はこれを「普通の認めあい(尊重)」であると考えています。いろいろな人が独自に醸成した普通をたくさんもって働いていることがそもそも「普通」であるという次元に到達する準備をする必要があります。
それはついつい使ってしまう「普通は・・・」という言葉を一呼吸入れ
自分の「普通」の因数分解、相手の「普通」の因数分解をすることを、コミュニケーションで意識をしなければ、衝突や小さなズレは続きます。
なので、2021年は相手の話を聞く時は、普通を探るということを意識します。

誰かの”普通”が自分の”普通”ではない証明

この”普通”を考え、いろいろ過去のことを思い返すとガッテンがいくことが1つありました。飲み会です。飲み会なんて、”普通”の探り合い、ぶつかりあいです。何かについてどう思うかということで、共感したり、メンバーの新たな一面を垣間見たりします。複数人で食事をすると、自分の”普通”が普通でないことを証明してくれます。
まぁ別に飲み会でなくてもいいのですが、リラックスした会話では”普通”はちゃんとネタになります。それなのに、仕事となると自分の”普通”をみんなの普通と考えたコミュニケーションになってしまいます。

オブラート言葉『サイコパス』

最近、このサイコパスという言葉をよく耳にします。その証拠に、僕の娘(小学4年)が口にしたりするので広く浸透しているのではないでしょうか。なんとなく意味はわかりますが、「◯◯さんはサイコパス」と、言ってしまえば、◯◯さんをまとめて普通じゃないから普通は通用しないというようなニュアンスになるのではないでしょうか。こんな言葉を小学生が軽々と話すのはいかがなものかと思ってしまいます。願わくば、◯◯さんと自分の考え方を具体的に認識して、それぞれの考えの違いを尊重してほしいと考えるのは親心ですが、サイコパスは僕も使ったことがあります。
なので、これからは意識して、このような言葉を使わない、聞いた場合は具体的にどのあたりがサイコパスなのか確認する、そして、サイコパスのような言葉を見つけたら同じような振る舞いをするということをしようと考えています。

さて、なんか今回は長くなりました。

タラタラ書いていたらこんなに長くなってしまいました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
さて、この記事の最初の画像 [ 22 ] に関して最後にお伝えしておきます。
今年は2021年ですし、今日は19日ですし、なんら関係ありません。
この [ 22 ] は
ひーふーみーよー の 「ふー」と
one two three four の 「two(ツー)」で
ふーツー ”普通” です。

なにやら、書いてきましたが、条件反射はあります。
レジで「レシートいりますか?」と聞かれると
ついつい「大丈夫です」とか言ってしまいます。
いや、いるかいらないかなのに、大丈夫。。。なにが?と
自分に問い、反省する毎日です。
”普通”もほぼほぼ、この条件反射的に使用しているので、意識して使うようになるには精進するほかないですね。

普通な人も普通じゃない方も、この記事でいえば皆兄弟。
マーケロボに興味がある方、来月には福岡にもオフィスが完成します。
ご連絡、お待ちしております。







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