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【エッセイ】きっと、大丈夫。

青天の霹靂だった。会社が倒産したと知らされた時は。

全国に支店を持つ英会話学校に、営業職で新卒採用されまだ二年だった。

どうやら大株主だったアラブの石油王が「もうワタシおカネ出さない」と言ったらしい。この石油王、以前来社した際は常に命を狙われてるからと、到着の時間も場所も直前まで知らされなかった。まるで007のようだと私は興奮したが、対応にあたった人たちはさぞ大変だったと思う。

さて突然仕事がなくなり、慌てたのは私よりむしろ母だった。
聞くと私の会社が倒産する前日に父がリストラされ、兄もその少し前に会社を自主退職していたらしい。

続く時は続く。パート勤めをしていた母は一家の唯一の働き手となり、しばらく「えらいこっちゃ」と騒いでいた。

私といえばどうしたものかなぁ、とぼんやりしていた。

とりわけ行きたい会社や、やりたいことがあるわけでもない。幸い自分の食い扶持さえどうにかすれば、当時まだ面倒を見なければいけない身内もなかった。

ならば今しかできないことをやろう、と思い立ったのが海外留学だった。ふたたび職に就けば、長い休みは取れなくなるに違いない。

そうして昼は出版社でバイト、夜はスナックという二足の草鞋を履き、一年後貯めた金でアメリカに渡った。二十五の夏だった。

留学先は西海岸にあるサンディエゴという街で、温暖な気候と豊かな自然に恵まれたまるで楽園のようなところだった。

海に行けば野生のアザラシがいた。かたや学校の近くに映画から抜け出たような高級住宅街があり、スーパーでアル・パチーノに会ったりした。今、思い返しても夢のような半年で、まるで一気に味わうクリームソーダみたいに最後まで弾けていた。

かけがえのない友もできた。今も遠く離れた場所に住んでいるが折々の便りが届く。

ただいいことばかりでもなかった。私は学生寮に住んでいたが、ルームメイトのトルコ人は、しょっちゅう彼氏を連れこんではいちゃつき、もう一人の韓国からきた彼女は、バスルームをよく水浸しにしてくれた。

けれど、コロナや世界情勢の報道を見るたび浮かぶのは、かつて異国でたまたま出会い、共に時を過ごした彼らの顔だ。

もし、あの時アラブの石油王がお金を出していたら、今頃私はどうなっていたのだろう、と思うことがある。一つだけ言えるのは、彼らと出会わなかった人生を私は想像できないと言うことだ。

先日、知り合い日は浅いが憎からず思っている若い人が、会社の事情で慣れ親しんだ勤め先を近く失うと知った。

経営難などではなくあくまで実務的な理由だった事がまだ救いだが、この何年かは社会的な理由でやるせない想いを抱える人が少くないはずだ。予想もしない出来事に、尚絶望の淵に佇む人もいるだろう。

だから、伝えたいし信じたい。きっと大丈夫。新しい出会いがその先に待っていると。


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