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組織における上司と評価基準
今日も一日お疲れ様です。
組織論の中で課題だなと感じたことがあります。
上司にゴールを設定されて、命を受けた部下はそのゴールへ向かうための道筋を立てる。
当然その道筋を構想する上で、スムーズにゴールへ辿り着くために出来るだけ無難な道を歩もうとする。
その無難な道筋を歩もうとすることで、誰か大切な人たちを置き去りにしていたらどうだろうか。
そんな大切な人がいることさえも忘れてしまっていたら…
大切な人がいるからこそ私は働かせてもらえるということを、もし忘れていたら。
もし私たちにとってかけがえのない大切な人たちが、上司の設定したゴールへ行く道に対して『それは危険だよ』と注意をしてきたら、無視したり攻撃的な対応などをするのではないでしょうか。
もし、大切な人の指摘で、
ゴールを変更しなければならない。
ゴールを諦めなければならない。
そうなってしまうと、上司の命に反いたと判断され、上司に見捨てられてしまうかもしれない。
切り捨てられてしまうかもしれない。
もう這い上がることさえできないかもしれない。
自分自身を自分自身の意思で負け組と認めてしまう烙印さえ押してしまうかもしれない。
もし大切な人の意見を聞くことで軌道修正したり、途中でストップすることは優秀な選択の場合も少なくないと感じます。
これを失敗と呼ぶのだろうか。
むしろ英断かもしれない。
しかし上司が設定したゴールへ辿り着けない部下がいたら、全て失敗と評価することしかできない上司であったらどうなのか。
上司が守ってくれない。
部下に手を差し伸べてくれない。
むしろ上司に突き落とされるかもしれない。
突き落とされても尚、懸命に登ってきても、また突き落としてくるかもしれない。
だから怖い。
大切なものを本当は理解しているのに。
だけど怖い。
そんな組織があったらどうなのだろう。
組織論で上司の器はとても大切なことだと感じます。
そして評価する仕組みを改めて見直す勇気も必要だと感じます。
良い例は現在の岸田政権です。
時折、議員や世論の声を聞き、柔軟に軌道修正をしております。
軌道修正しないままいくことが望ましいのか。
軌道修正してくれることが望ましいのか。
そんなことも昨今のニュースでも聞く力を耳にするようになりました。
そしてコロナで皆様が意識されている窓や扉などを開ける風通し。
そんな風通しの良い人間関係がイキイキとする組織に繋がると感じます。
言いたいことも言えないこんな世の中は、ポイズン。を改めて聞いて、これらのことを感じた次第です。
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