『弱さ』を認めるという自信
おはようございます。
僕自身もそうでしたが、人間は弱さを公にすることは隠したがります。
多分これは生物学的、本能的なものだと思っています。
自分を強くみせないと、自分の周りの環境から離脱させられるといった気持ちでしょう。
自分の弱さを自分自身の中で隠す事は自分にとって自分を大切にしていないことになると感じています。
本能的な部分と感情的な部分は、異なるフィルターで考えなければいけないと感じています。
本能は、今まで人が進化した過程で培ってきたものがDNA的に受け継がれているものではないかと思っています。
狩りをしたいた時代。自給自足をしていた時代。
とにかく自分の弱さを見せるということは、動物はしたがりません。
一方で感情という話。
これは人として与えられたもの。
大概の人は誰しも誰かに認めてほしいし、誰かに優しくしてほしいもの。
自分ではない誰かを意識しながら生活をしています。
心地よさを求める。
しかしここに潜在的な本能という部分が関わってきます。
誰かに認めてほしいから弱さを見せない。
このような感情を言語化することは実は大事だったりします。
『誰か』とは何なのか。
なぜ周りに求めるのか。
自分が変わるのではなく、私の気持ちを汲んでほしい。組んだうえで相手に変わってほしい。そうすれば自分は心地よくなれる。
自分が変わるということはストレスフルになりがちですよね。
そこで一つの提案があります。
自分の弱さを自分自身が認めるという取り組みです。
それが自分を信じる行為であり、自信になります。
私自身の存在を自分が信じられない。
人生なんてものは、未熟なことだらけです。
未熟だからこそ、楽しいわけです。
もし完璧な人間になったことをイメージしてください。
つまらなくないですか?
どこか抜けているところやどこか短所があるからこそその人は味がある。
今の自分の弱さを受けれいれる。
裏返せば、それが『強さ』でもあるのではないでしょうか。
何かのきっかけにしてもらえたら幸いです。
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