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楽譜のお勉強【65】ゲラルト・エッケルト『内側から 〜粒状』

ゲラルト・エッケルト(Gerald Eckert, b.1960)はドイツのニュルンベルクに生まれた作曲家です。ヴィルフリート・イェンチュやヴァルター・ツィンマーマンに作曲を師事し、またダルムシュタットなどでファーニホウやディロンといったニュー・コンプレクシティーの作曲家たちにレッスンを受けたことで作風に強い影響を受けたようです。経歴を見ると、作曲家・チェリスト・画家となっています。彼の書く楽譜はビジュアル的にかなり読譜が難儀なことが多いのですが、画家であるならば少し納得がいきました。ちょっと抽象画っぽい箇所がしばしば見受けられます。しかしなんと言っても彼の楽譜の読譜が難しい一番の理由は、手書きの注釈の文字の小ささだと思います。注釈は量が多く、ドイツ語でしか書かれていないこともあり、ドイツ以外の国であまり演奏されない理由になっているかとも思います。私も文字の解読や、時折潰れたような音符に警戒して、あまり積極的に楽譜を読んでこなかった作曲家なのですが、本日は勇気を出してエッケルトのヴィオラ独奏曲『内側から 〜粒状』(»vom Innen - Körnung« für Viola, 2003)を読んでみたいと思います。

楽譜はエディション・グラヴィス社から出版されています。グラヴィス社は私の作品もほとんど手がけて下さっている出版社で、現代の作曲家に力を入れています。『内側から 〜粒状』はA3版の大きなフォルダーに5枚のシートが入っています。タイトルや初演情報、奥付けが一枚、残る4枚は片面印刷で演奏指示書が一枚、楽譜が3ページとなっています。3ページと短い感じがしますが、A3版という大きな紙で、音符は小さいので、音数は多いです。エッケルト自身の手書きの楽譜に基づく印刷譜です。

演奏指示書には、細かい演奏指示は書かれていません。運弓ポジションなどの略語の説明、フラウタンドなどの基本的な奏法の確認程度です。実際の細かなニュアンスや特殊な楽器捌きは、楽譜上で逐一説明していくスタンスです。

楽譜はいきなり読み辛いです。ヴィオラ独奏なのにト音記号で始まっていて、それもヴィオラの低音部です。加線4本を加えたC線で演奏される四分音低いDから失踪するパッセージが始まります。ヴィオラ奏者はそもそも低音部をト音記号で読むトレーニングなどしていないはずなので、相当読みにくそうだと想像しますが、なぜかパッセージを2つ演奏し終わった後、しれっとハ音記号に戻ります。このパッセージは低音から高音へ駆け上がって行ってまた降りてくるものなので、おそらく音程関係の目視を崩したくなくて、最初からト音記号で書いたのだと想像します。ただ、最初の2つのパッセージは最高音が第五線(五線の一番上の線)上のF#なので、ハ音記号で書いても上部加線三本で済みます。おそらく下部加線四本を読むよりはその方が現実味があるかと思います。ただ、読みにくいからと言って、音楽がちょこざいかと言うとそんなことはなく、よく吟味された微分音を多量に含んだ疾走句は、コル・レーニョ・トラット(弓の木製部分で弾く)でひなびた味わいを醸し出し、独特な味わいを持つ響きが美しいです。左手の指は全てフラウタンドの効果を強く引き出すために、指板まで指が届くか届かないかくらいに力を入れずに弦を押さえるハーフ・ハーモニクスの技法で書かれていて、普通の楽譜ではありません。また、楽想を表す用語として、「息もつかずに(atemlos)」と「現実味なく(unwirklich)」という語が添えられていて、作品の詩情を厚くしています。疾走句の中にアクセントが付けられた音が少し混ざっていて、浮かび上がる旋律のような役割を持っています。最初2段が終わると、繰り返し記号で挟まれたセクションが始まります。それまではリズムは書かれておらず、ただ速く音価を定めずに演奏していましたが、繰り返し記号に挟まれた箇所からは音価を伴います(所々音価を伴わないパッセージを挟みます)。繰り返しはただ繰り返すわけではなく、1回目と2回目で運弓するポジションやコル・レーニョと通常の弓奏の変更などが設定されています。繰り返しをする時に表情を変えるのは、西洋音楽では古楽の作品から見られたものです。現代では作品の音組織の判別がなかなか難しく、演奏家が装飾音を付けたりする手がかりが分かりにくいこともあって、音を変更する繰り返しは多くありませんが、奏法や強弱、テンポなどを変更する手法はしばしば見られるものです。

楽譜2枚目に入ると、第2セクションが始まります。非常に動的だった第1セクションに対して、静的な表現になっています。エッケルトの音楽は基本的には静の音楽です。時間感覚を失っていくような模糊とした持続と断続が独特の緊張感を作る音楽です。ここではEの音が長い間を取りながら、弓で叩かれていき、合間合間に音楽的コメントが挟まれます。

2枚目下段は、第3部です。途轍もない量の縦線が楽譜を埋めています。できるだけ速く同音を繰り返し演奏するパッセージではよく用いられる書法ですが、エッケルトの場合、縦線の密度が神経質なまでに密集しています。ほぼ黒塗り状態になっています。数箇所、ほぼ黒塗り縦線の層に重ねて他の黒塗り縦線の層を書き足している箇所があります。これは、異なる弦を極めて密集した形で判別がつかないほどに速くトレモロで演奏するようです。密集した縦線群の上に密集した縦線群を重ねていますから、楽譜はまさに塗り潰れています。

超絶高速トレモロが終わった後は、3ページ目、第4セクションに入ります。ここは高音のトリルを中心に聴くセクションで、次第にアルペジオが混ざってきます。アルペジオが目立ってきたらセクションが進み第5部です。第5部は高速アルペジオで構成されています。

最後の2セクション、第6部と第7部は、それぞれ一段にも満たない短いものですが、音楽的主張が他の部分と全く違うので独立したセクションとして数字を割り当てたのでしょう。第6部では弓を弦に強く押し当て、通常の横弾きではなく、弦に対して垂直方向に弾きます。弾くと言っても、とても強く押し当てているので、弓は動きません。ときおり動く弓が弦と強い摩擦を生み出し、「ビキッ!ビチビチ!ビッ!」という断続的なノイズが聞こえます。最後の第7セクションはたっぷり時間をかけて駒の近くから指板にかけて運弓ポジションを移動させながら低音のロング・トーンを伸ばします。倍音の構成率が次第に変わっていくので、音色の変化自体が音楽的意味を持つ部分です。

第7セクションの後、第4セクションに戻って繰り返しがあります。第4部と第5部を再び演奏して、作品は終わります。この繰り返しでは、最初に細かく設定してあった強弱が取り払われ、ppppのごく弱奏で演奏されます。第7部の終わりで一応曲が終わっており、その余韻が続くといった感覚でしょうか。

この作品の大きな魅力の一つは、曲のほとんど全体がコル・レーニョ・トラットで構成されている点でしょうか。弓の毛で弾くのとは摩擦係数が全く違いますので、あまり音の実体を感じない発音になります。虚像のような音の群像が「息もつけない」「非現実」として立ち上がってくるような不思議な音楽です。

エッケルトさんとは、ドイツ国営放送企画の演奏会でご一緒したことがあります。一緒にお茶を飲んだりして、楽しかったです。穏やかな方でしたが、作品の通り、強いこだわりを持った方だと印象を受けました。最後に、チェリストとしての彼の演奏動画も上げておきます。繊細な響きを出すのがとても上手です。それにしても、ドイツで出会った作曲家はチェリスト兼業の方が多かったです。エッケルト以外だと私の作品をよく演奏してくれたニクラス・ザイドル、講義に感銘を受けたカスパー・ヨハネス・ヴァルター、みなさんそれぞれチェリストとしても本当に優れていて、作曲に留まらない資質を備えた音楽家としての強みを持っていました。ちなみに『内側から 〜粒状』も作曲家ヴァレリオ・サニカンドロによって初演されているのです。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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