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楽譜のお勉強【39】アレクサンドル・グラズノフ『5つのノヴェレッテ』

アレクサンドル・グラズノフ(Alexander Glazunov, 1865-1936)はロシア五人組(バラキレフ、ボロディン、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフの5人の作曲家)で指導的立場にあったバラキレフに若くして才能を認められ、リムスキー=コルサコフからも高く評価されたことで神童として早くから活躍を始めます。国際的にも活躍し、ペテルブルクを中心としたロシア民族主義とモスクワを中心とした国際主義のどちらからも評価を受けるようになりました。今日では8曲の交響曲(9曲目は未完)、ヴァイオリン協奏曲、サクソフォン協奏曲、バレエ音楽『ライモンダ』、『四季』などで頻繁に演奏会で聴く機会があります。

今日演奏会で聞く機会のあるグラズノフの作品は管弦楽曲に集中していますが、たくさんのピアノ曲や歌曲、いくらかの室内楽曲も充実しています。室内楽では、弦楽四重奏以外のジャンルにほとんど関心を示しませんでした(サクソフォン四重奏曲やホルンとピアノのための二重奏曲『夢』、ヴィオラとピアノのための『エレジー』などはよく演奏されますが)。7曲の番号付き弦楽四重奏曲は彼の創作のほとんど全ての時期に書かれており重要とされていますが、この7曲意外にも弦楽四重奏のための作品を書いています。『5つのノヴェレッテ 作品15』、『組曲ハ長調 作品35』、『エレジー ニ短調 作品105』が弦楽四重奏のために書かれています。本日は『5つのノヴェレッテ』(»Five Novelettes« op.15, 1886)を読んでみます。

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『5つのノヴェレッテ』は弦楽四重奏曲第2番と第3番の間に書かれた初期の作品です。ノヴェレッテとは短編小説という意味ですが、何か小説にインスピレーションを受けたものというより、気楽な性格的小品集という趣です。この後の弦楽四重奏曲第3番もソナタ的でなく組曲的な性格を持っているので、この時期の彼はリラックスした筆で音楽を楽しんで書いている感じがします。「この時期の」というより、やや楽天的な性格の音楽はグラズノフの特徴でもあるのですが。『5つのノヴェレッテ』は5曲の構成が面白く、キャラクター・ピースとしての性格を際立たせる工夫があります。第1曲は「スペイン風に」、第2曲は「東洋風に」、第3曲は「古風な旋法による間奏曲」、第4曲が「ワルツ」、第5曲は「ハンガリー風に」となっていて、異国情緒溢れる設計の組曲なのです。

最初に第1曲「スペイン風に」を聴き始めると、チェロのピツィカートの伴奏に乗って素朴な、しかしフレージングを工夫したメロディーが歌うので、チェロのピツィカートはスペインでとても愛されるギターを彷彿とさせました。もちろんその解釈で間違っていないのでしょうが、グラズノフがこの曲集で表現した異国情緒はそもそもピツィカートに強く頼ったものでもありました。第3曲の「間奏曲」以外全ての曲がチェロのピツィカートの伴奏で開始するのです。安易にも聞こえるものですが、教会旋法風に書かれた「間奏曲」がしっとりとした弓奏で中心に位置しているので、なかなか戦略的な構成にも聞こえます。

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(第1曲「スペイン風に」最初のページ)

「スペイン風に」の冒頭で聞かれる旋律は面白いフレージングを持っており、9/8拍子であることは5度を2小節にわたって繰り返す前奏では確定的ではなく、旋律によって正体を表します。しかし、3度のゼクエンツ的な下行と上行を繰り返すモチーフは、4音ずつで聞いて最後の八分音符をカットしても成立するので、最後の音に置かれたアクセントが伸びることによってようやく9拍子と分かるのです。しかし3拍目の八分音符2個目に置かれたアクセントはおかしな場所で、3拍子系の音楽というより、変拍子系の音楽のような表情を持っています。しばらく聞くと完全に9/8が姿を表しますが、軽い筆の中でなかなか心にくく遊んでいて、洒脱です。

第1曲、第2曲、第3曲は三部形式で書かれており、少し規模の大きな第4曲、第5曲は冒頭主題が別の主題を挟みながら何度も回帰する一種のロンドの形です。素朴な形式感もこの作品が「弦楽四重奏曲」と題されなかった理由でしょう。第1曲、第2曲がほぼ完全な形で最初の主題に戻ってくるのに対し、第3曲では楽器の交替と音価を2倍に伸ばした拡大形による回帰となっていて、ちょっとした工夫が美しいです。最初の提示では第1ヴァイオリンが演奏していた主題が、後半ではチェロによって歌われます。しっとりした楽想にふさわしく、チャーミングな間奏曲です。

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(第2曲「東洋風に」最初のページ)

第4曲の「ワルツ」と、第5曲の「ハンガリー風に」は、規模も大きく、情景描写が充実していて、テンポの変更がしばしば起こります。特に「ワルツ」では「スケルツァンド(諧謔的に)」と書かれている箇所ではメロディーに倚音(アポジャトゥーラ)が多用され、洒落た軽さを味わうことができます。「ワルツ」はグラズノフが管弦楽やピアノでしばしば作曲したジャンルでもあるので、彼のセンスを感じるのに適しています。「ハンガリー風に」では民族色豊かなオスティナートを厚めの楽器法で書いており、音楽を聞いた満足感を与えて、曲が終わります。

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(第3曲「古風な旋法による間奏曲」最初のページ)

『5つのノヴェレッテ』はロマン派的なサロン音楽として捉えて差し支えないでしょう。精神性を探す旅ではなく、素朴で遊びに溢れた音楽表現を楽しむ作品です。しかしこの作品の演奏時間はどんなに早く演奏したとしても25分を切ることは難しいでしょう。今日的な感覚では、25分を超える弦楽四重奏曲は、奥行きのある立派な作品を想像してしまいます。遊び心を持った筆で肩肘はらずに、そこそこ長い時間ゆったりした気持ちでただ音楽に浸るような曲をたまには書いてみたいものです。25分の弦楽四重奏曲を書いてくださいと依頼されたら、私は求道者のような態度で音楽探しをしてしまいそうです。

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(第4曲「ワルツ」最初のページ)

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(第5曲「ハンガリー風に」最初のページ)

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