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佐藤みゆき書評 オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光 訳、河出書房新社)

評者◆佐藤みゆき
人間への厳しい眼差しと淡い期待――SFの設定を用い人間の本質に迫る短編集
血を分けた子ども
オクテイヴィア・E・バトラー 著、藤井光 訳
河出書房新社
No.3559 ・ 2022年09月17日

■ブラックフェミニズムの旗手として、またSF&ファンタジー界におけるアフリカ系アメリカ人女性作家の草分け的存在として活躍し、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、サイエンス・フィクション・クロニカル賞を総なめにしたオクテイヴィア・E・バトラーの短編集である。「長編作家」を自認する作者が『短編以外にはありえない小説』と評した五作品に加え、執筆への強い思いが感じられるエッセイ二作品、さらに二〇〇〇年代に入ってからオンライン雑誌で発表した新作短編二作品と、バトラーの短編のほとんどを網羅している。九作品それぞれの後ろにはあとがきが付され、作品が生まれたきっかけや作品のテーマ等が確認できる。読後の印象が鮮やかなうちに作者と交流できるというわけだ。
 SF作品は、どれもが読み手の常識をはるかに越えたバトラー独自の発想に満ちている。作品の冒頭で読者はただならぬ気配におののく。だが全貌はすぐには見えてこない。語り手によって断片的に明らかにされていく驚愕の事実を拾い集めていく先に浮かび上がるのは何ともグロテスクで異様な世界だ。例えば表題作『血を分けた子ども』(一九八四年にネビュラ賞、一九八五年にサイエンス・フィクション・クロニクル賞、ローカス賞、ヒューゴー賞を受賞)では、異星人の地で暮らさざるをえない人間が、自分の体内に注入された異星人の卵をまさに「血を分けて」育てることで生き延びていく。そしてその役を担うのは男性だ。『夕方と、朝と、夜と』(一九八八年にサイエンス・フィクション・クロニクル賞を受賞)では、遺伝性の奇病の症状として、機能しなくなるほど体を毀損してしまう人々が描かれる。
 そんな異様な世界を描く作品だが、バトラーによれば、多くの創作の出発点は世界で実際に起きた不幸な出来事や生活の中で感じた人間への失望や疑問だという。『恩赦』は、アメリカのロスアラモス国立研究所の李文和博士が一九九九年に核技術を盗む中国のスパイとして証拠もないまま起訴され、職も自由も奪われた出来事がもとになっている。『話す音』(一九八四年にヒューゴー賞の最優秀短編部門を受賞)は、友人を見舞いにいくために乗ったバスの車内で起きた愚かな流血沙汰から生まれた。
 描かれるのは、不条理な世界で人間らしく自由に生きることを諦めざるをえない状況に置かれた人々である。自らの行為が招いたわけではない重い十字架に喘ぎ苦しむ人々の姿だ。殺されたり奴隷にされたりすることから逃れるために地球を出て別の星に移住し、異星人の下で従属的に生きる者。がんを治療するために開発された薬を親が飲んだことが原因で遺伝性の奇病を発症する運命を背負わされ、社会から差別的扱いを受ける者。異星人に拉致され解放された後に、地球軍に収監されて人間としての尊厳を奪うような取り調べを受け、結局異星人のもとに戻ることを選択する者。人間の自己中心的な行為が社会的弱者である彼らをそもそも産み出したり、その苦しみをより耐え難いものにしたりしているのだ。言語能力や命を奪う謎の伝染病が蔓延したことで、孤立した者もいる。主人公たちは自分が置かれた状況に絶望するあまり自ら命を絶つことまで考えるが、その攻撃性が自分以外に向かうことはない。状況を根本的に変えるには自分があまりにも無力であることを知っているからだ。死にきれなかった主人公たちは、自分に残された役割を見つけやがて自ら選択して生きていく。役割を果たすことで他者と生きていく強さを最後に見せる主人公の姿は微かな希望を感じさせる。
 バトラーが出現するまではSF作家は白人男性が占め、多くの作品の主人公も白人男性であり、SFの設定は主に白人男性のヒーローぶりを際立たせるものであった。それに対しバトラーはSFの設定を用い、「権力」、「生殖」、「性」、「遺伝」、「家族」、「意思伝達能力」などをテーマに現実とは異なる世界を描き、人間の本質に迫ろうとした。人間への厳しい眼差しには、アメリカ社会における黒人女性という二重のマイノリティとしてのバトラーの文化的背景が映り込んでいると思われる。それでも架空の世界で主人公が見つけ出すものは、現実の人間社会におけるよりももっと公平で、他者志向で、異なるものを繋ぐ役割であり、そこには人間に対するバトラーの淡い期待が滲む。
 性別、人種、遺伝病といった生得的差異や宗教、慣習といった文化的差異、そして個人的志向に基づく差異。あらゆる差異を根拠に人間はこれまで差別や排除を繰り返し、マイノリティを産み出してきた。しかし、その帰結はとても危うい。誰かの苦しみや哀しみに繋がるからだ。さらには自分が差別される側に陥る可能性すら孕んでいる。もし差別や排除ではなく、様々な差異を人間の持つ多様性と捉え、互いを尊重し、補完しあうならば、人間ははるかに豊かな関係を創り出せるのではないか。
 私たちが置き去りにしてきた視点に改めて気づかせてくれる一冊だ。
(英語教師/翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3559 ・ 2022年09月17日(土)に掲載。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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