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楠田純子評 ケン・リュウ/藤井太洋ほか著『七月七日』(小西直子/古沢嘉通 訳、東京創元社)

評者◆楠田純子
十人の作家により現代に蘇る説話の数々――一冊で二度どころか三度も四度も、いや十篇あるから十度「美味しい」
七月七日
ケン・リュウ/藤井太洋ほか著、小西直子/古沢嘉通 訳
東京創元社
No.3606 ・ 2023年09月09日

■説話(神話や伝説)は世界各地に存在する。誰でも何か一つは知っているだろう。本で読んで知ったもの、童話として読み聞かせられたもの、郷土史の一部として記録されるもの、そして、いつどこで、誰から聞いたか、あるいは読んだかわからないがいつのまにか記憶してしまっているもの。そういったものの中でも、中国・韓国・日本に伝わる説話を題材にして、十人の作家が描く短篇を収めたのが本書だ。著者はケン・リュウ(作家の現在の国籍は米国だが、題材にしている説話は中国のもの)、レジーナ・カンユー・ワン(中国)、ホン・ジウン、ナム・ユハ、ナム・セオ、クァク・ジェシク、イ・ヨンイン、ユン・ヨギョン、イ・ギョンヒ(韓国)、藤井太洋(日本)。
 それぞれの物語の題材となっている説話は、日本でもおなじみの七夕から、新年の怪物、九十九の谷、済州島を作った巨人、秦の始皇帝の命により、三千人の子どもと技術者を連れて、不老草を探す旅に出た徐福、海にできる「ニラヤ(魂の帰る国)」に至る川、空に向かって矢を射た古の人、シャーマン神話、媽媽神、大別相まで多岐にわたる。特筆すべきは韓国で、済州島にはよほど説話が多彩に存在するらしく、七篇のうち、かの地に関係しない説話がない。厳密に言えば徐福と済州島との接点は、残されている旅の足跡だが、他は直接済州島で生まれたものだ。
 それぞれの説話を知っていれば、物語を読む際に知っているからこその味わいがあることだろう。だが、知らなくても味わいが損なわれるわけではない。それほどに、それぞれの物語の中に題材となった説話が見事に織り込まれている。
 時代は過去のものもあれば現代・未来のものもあり、舞台は地球を飛び出すものもある。SF作家が多いこと、それから、作家のバックグラウンドが実に多様であることが原因か、古くから伝わる説話がモチーフであるはずなのに、新しい物語として楽しめる。未来や地球の外、架空の場所を舞台にした物語などは、ストーリーを追うのを一時休憩して、その世界でしばし遊んでしまいそうになる読者もいることだろう。
 新しい物語として楽しめると書いたが、一方で、人の営みの普遍性をも教えられる。説話を題材とした短篇、という一貫したテーマがあるにもかかわらず、本書に収められた物語はどれも独創性に富んでおり、メッセージも多様で、一冊で二度どころか三度も四度も、いや十篇あるから十度「美味しい」。
「美味しい」というと軽く響くかもしれない。説話というのはえてして現代の常識では理解が難しい。それでも今に至るまで伝えられるのは、そこに先人の歴史が垣間見えるからであったり、知恵や教訓を受け取ったりするからではないだろうか。目に見えないものも含め、人ならざる存在を自然と受け入れられる文化的土壌があるのかもしれない。
 くり返しになるが、本書に収められた十篇はどれも各地に伝わる説話が題材となっている。だが、仮になじみのある説話が題材になっている場合でも、展開を予想できるかというとそうではない。表題ともなっている「七月七日」が良い例だ。明日離れ離れになってしまうカップルが、ひょんなことから「あの」織女(織姫)と牛郎(彦星)に出会う。他者の愛のありようを知る機会は誰にでも持ち得ても、特殊な状況下で、しかも何千年も関係を育ててきた夫婦の愛を知る機会を得るのは奇跡だろう。長い時を経て、ふたりの愛はどういうものになっているのか? ぜひお読みいただきたい。
 日本人としては藤井太洋による「海を流れる川の先」は必読だろう。ここで描かれるサツ国による侵略は、薩摩が奄美大島に侵攻した史実に基づいている。日本には侵略者としての歴史があることは、今一度認識しておくべきではないか。
 各短篇の終わりには「作者あとがき」がついている。どの説話を題材にしたかが語られるのみならず、何故その説話を取り上げたのかをはじめとして、作者の想いが綴られている。物語を読み、自分の感想を得た後で作者の心の内を知るのもまた格別だろう。
 なお、「ソーシャル巫堂指数」には一匹の猫が登場する。猫好きな方にもおすすめしたい。
(翻訳者)

「図書新聞」No.3606・ 2023年9月09日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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