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滝野沢友理評 ジェスミン・ウォード『線が血を流すところ』(石川由美子訳、作品社)

評者◆滝野沢友理
全米図書賞受賞作家がえぐり出す、黒人コミュニティの美しくも過酷な日常――ノンフィクションをしのぐリアリティで目の前の現実を伝えようとする小説
線が血を流すところ
ジェスミン・ウォード 著、石川由美子 訳
作品社
No.3581 ・ 2023年03月04日

■本書は女性としても非白人としても初めて全米図書賞を複数回受賞したジェスミン・ウォードによる長編小説で、邦訳書としては『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』(二〇二〇年)、『骨を引き上げろ』(二〇二一年)に続く三作目となる。と言っても原書の出版順はその逆で、二〇〇八年にデビュー作として発表されたのが本書であり、初回の全米図書賞受賞作である『骨を引き上げろ』が二〇一一年、初の快挙として同賞を二度目に受賞した『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』が二〇一七年の作品だ。
 これらの三作品はいずれも著者の故郷であるミシシッピ州デリルをモデルにした架空の小さな町を舞台に描かれているため、その町の名から「ボア・ソバージュ三部作」と呼ばれることもある。「見知らぬ人間などいるはずもなく、皆が皆を知っている」規模の町であるだけに、『骨を引き上げろ』に登場したスキータやマルキスなどに本書で再会できる。だが三つの物語に関連性はないので、どこから読みはじめても差し支えない。
 初めて邦訳された『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』は、十三歳の少年ジョジョ一家の物語だ。父母代わりとなりジョジョと幼い妹ケイラを育てる祖父母、ジョジョを身ごもったのが十七歳のときだったためか母親らしい愛情を見せられない母レオニ、三年前から刑務所にいる白人の父マイケル。その父が予定よりも早く出所できることになりレオニと子どもたちで迎えに行く場面が物語の中心だが、現代とは思えない厳しい環境の中で登場人物たちが不器用ながらも必死に生きる様子がリアルに描かれている。
 二作目の『骨を引き上げろ』は、二〇〇五年に米国南東部を襲ったハリケーン・カトリーナで被災した著者にしか書けない作品で、物語の中でも父親と四人の子どもたちがカトリーナの直撃を受ける。子どもたちの中で唯一の娘であるエシュは一〇代にして予期せぬ妊娠をしているが、ピルを買うお金も分けてもらえる友達もなく保健所に行くことすらできない。そこにさらに天災が加わり、「あらゆる残骸の只中に取り残された人間の残骸」となる姿は想像を絶する。
 一方で本書の年代設定は二〇〇五年の春から夏であるためカトリーナによる被害を受ける前ということになるが、それだけに以前からこの町を取り巻く貧困と暴力と薬物の影が際立つ。
 物語の中心は一〇代後半の双子のジョシュアとクリストフで、ふたりは糖尿病により視力を失った祖母のマーミーと暮らす。母親のシルは双子が幼い頃からアトランタに出て化粧品店のマネージャーとして働きながら養育費を送り時々実家に顔を出すものの、父親のサミュエルはいないも同然の薬物中毒者だ。少々特殊な家庭環境のように思えるが、「子どもの養育を別の親族が引き受けるのはボア・ソバージュではよくあること」というマーミーの言葉通りふたりは親族に見守られ、作中で無事に高校卒業の日を迎える。
 問題は働き口だ。これまで大切に育ててくれたマーミーがいるうちはボア・ソバージュから離れるつもりはない。しかし、コンビニが三軒に小学校が一つ、教会が三つ、ナイトクラブが一軒しかないような町に仕事はない。そこでふたりは卒業祝いに母親から贈られた車で、離れた町まで職探しに出る。マクドナルドを皮切りに、デイリークイーンやドライブインのレストラン、ガソリンスタンド、ウォルマート、港湾などを訪ね、次から次へと応募用紙に記入した。贈られた車は一台なので、同じ場所で同じ時間帯に働ければなおよい。
 だが結局採用の連絡があったのは港湾のみで、しかもジョシュアだけ。いくら待ってもクリストフにはどこからも連絡はない。金銭的な余裕もなく次第に焦りを感じるようになったクリストフは、ジョシュアを送迎しながら職探しを続ける一方で、「草」の売買に手を出すようになる。非難するのは簡単だが、ではどうすればよいのか。読者としては状況が好転することを切に願いながらページを繰ることになる。
 なお、「訳者あとがき」にも「彼らが日常的に大麻を吸う姿には面食らうが、アメリカでは州によって大麻の摂取が再合法化されるなど、日本とは文化的に受け止め方がずいぶん異なる」とあるように、本書はノンフィクションをしのぐリアリティで目の前の現実を伝えようとする小説であるがゆえに、薬物をはじめ様々な点で予備知識がないと理解が難しい場面もある。それを補ってくれるのが、本三部作それぞれに付属する各十六ページの別冊解説だ。アメリカ文学の研究者である青木耕平氏によるこの解説により、本三部作がただの「物語」ではないことがわかる。
 二〇一三年から全米各地で広まった人種差別抗議運動「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の生命は大切だ)」は日本でも広く知られるようになったが、本書は文学であると同時に、長きにわたり彼らが生き抜いてきた生活を知るうえでの貴重な資料でもある。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3581 ・ 2023年03月04日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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