圓尾眞紀子評 群ようこ『老いてお茶を習う』(KADOKAWA)
よそのお稽古場をのぞき見しているような臨場感――自分を棚に上げて笑った後は元気がもらえる群さんからのお茶の世界への招待状
圓尾眞紀子
老いてお茶を習う
群ようこ
KADOKAWA
■群ようこさんといえば着物関連のエッセイもたくさん書いておられるのでお茶やその他の和のお稽古などはすでに長くご経験済みかと勝手に想像していたところ、このたび六十八歳にして初めて師匠についてお茶のお稽古を始められたとのことだ。今回の新著ではそのお稽古の最初の一年を群さんの心のつぶやきを通して読者はハラハラドキドキ、そして常にクスっとなりながら追体験させてもらえるという、ありそうでなかった設定の本である。「老いて」というところで読者層が限定されるかと思うとそれが意外にもそうではないことも読み終えてみて分かった。
第一の読者層は人生の後半に差し掛かって和のお稽古を始めようかと考えている人たちだろう。今までバリバリと働いてきた男性も女性も六十という人生と仕事のひとつの節目で和的なものにより惹かれていく、というのは私の周辺を観察していてもよくあることのようだ。そんな人たちには群さんがお茶のお稽古の最初の一年で経験する楽しみも喜びもまた足の痛みも、現在進行中のとても身近なものとして、または来る未来に経験するだろうものとして、大いに共感できるのではないだろうか。この本のタイトルだけで勇気づけられてしまう人もたくさんいそうだ。
そして第二の読者層――もしかしたら本命――は、老若関係なく長らくお茶のお稽古をしているにもかかわらず、自分の手足がなかなか思い通りに動かない経験をたっぷりしているお稽古中級者の人たちかもしれない。この読者層は第一の読者層よりも、この本をより楽しむことができる。なぜならば茶道のテクニカルターム(専門用語)が理解できて、群さんが書いている場面をビジュアルに想起しながら読むことができるからだ。これができるとこの本の楽しみ方もぐっと増える。というのは、茶道未経験者は、この本を読んでも「どんな場面か正確に想像しにくい」ということがあるいはあるかもしれないからだ。
例えば群さんが最初にお稽古の見学に行って拝見する炭手前のシーン。「炉縁の正方形の右辺を手前、やや離れたところと二回、炉の中に向けて払い、向こう側の辺と左辺は~」とあるところなど茶道を全くやったことがない人が読んでも実際のビジュアルと結びつけるのは難しいのではないだろうか。しかし、そういう人もこの本を手元に置いてご自分のお稽古を進めていくうちに「あ! このシーンはあの!」と気づく時が来るに違いなく、それもまた楽しみと思って読むのもありだと思う。
第三の読者層は「特に茶道をやろうと思っているわけではないが群さんのこの本が気になる」人たちだ。茶道関係のあれこれ詳しい説明はよくわからなくても、優しく素敵なお師匠さま、自分より若いけれどずっと経験のある先輩弟子のお二人、そして同時入門の年下のお仲間、という実社会とは異なる人間関係の中で七十を目前にした群さんが楽しみながら挑戦していく日々の様子を四季の移ろいを通して一緒に体験できる。お稽古場ならではのイレギュラーな関係もこのエッセイではとても温かく、魅力的な要素になっている。群さんの着物エッセイのファンの皆さんが密かに期待しているかもしれない着物に関する話題は、今回かなり抑えられている印象だ。それでもところどころでおしゃれで着る着物と茶道のお稽古の時に扱いやすい着物や着付けとの違いについて書かれているのでとても参考になる。
第二の読者層に属する私は、この本を寝転がってぐうたらとは読めず、気づくと正座して拝読していた。この本にちりばめられている茶道ワードは通常、正座した状態で聞いていることが多いので、どうやら身体が自然に反応してしまうようだ。茶道、恐るべし。
この本で群さんが書かれている「私の残りの人生では、巨大な茶道というもののなかの、一パーセントも理解できないという確信をますます強く持ったのだった」という一行に深く共感した。それはまさに多くの人がお稽古で、外の茶会茶事で常に感じることでもあると思う。「道」と名のつくほどのものを全て分かるなんて絶対無理、でもだからこそ人生をかけて学ぶ価値があるのだと思いたい。何歳から始めてもいいし、立派な大人だって間違ってもよいのだと思いたい。開き直るのではなく、失敗から立ち直るためにそう思いたい。いみじくも群さんも「どれも完璧にできたことはないが、その場にいることが楽しいのである」と書かれている。まさにその通りだと思う。お茶の楽しみは尽きることがなく、その汲めども尽きぬ泉を六十八歳で見つけてしまった群さん。その最初の記録となった本書から元気をもらってお茶の道を一歩前に踏み出していく方がこれからきっとたくさん生まれるのだろう。
(ビジネス英語研修Q‐LEAP代表)
「図書新聞」No.3638・ 2024年5月4日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。