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江戸智美評 諏訪部浩一『薄れゆく境界線 現代アメリカ小説探訪』(講談社)

評者◆江戸智美
「知らない世界」へと誘う見取り図――目次に並ぶ各章のタイトルを見るだけで、アメリカ小説の多様多彩な広がりに心躍る
薄れゆく境界線――現代アメリカ小説探訪
諏訪部浩一
講談社
No.3582 ・ 2023年03月11日

■『薄れゆく境界線』の目的について、著者は「はじめに」で「アメリカの現代小説に関する見取り図を、茫漠としたものであっても描いてみること」と述べている。第二次大戦後、「境界線」が「薄れては引かれることが繰り返されてきた時代」にアメリカ小説がどのような影響を受け、応答してきたのかについて、膨大な作品を読み解き(「あとがき」によると五五〇~六〇〇冊)、分析した結果、作家と作品が見取り図に配置された。
 本書は二六章から成っており、大きく「ジャンル小説」と「人種系文学」の章に分けられる。各章はまず歴史を概観した上で、それに伴うアメリカ文学の変化を考察し、代表作家を数人ずつ紹介する。冷戦期とそれ以後の作家をそれぞれ選ぶことで時代の変化を明らかにし、また作家自身の変容にも触れている。
 目次に並ぶ各章のタイトルを見るだけで、アメリカ小説の多様多彩な広がりに心躍る。第一章ではまず社会風俗を描くリアリズム小説を取り上げ、メディアの発達で「知らない世界」がなくなりつつある時代に小説が直面する「書きにくさ」を指摘する。国全体が均一化すると、国内の差異、境界線が曖昧となり、特定の地域を描く小説の存在が危うくなる。それでもなお残る南部小説と「ラフ・サウス」が続く二章で扱われ、「知識人」作家が「北部」のマーケットに向けて書く葛藤を示唆する。公民権運動以降、ようやく貧困階級出身の南部作家が現れるが、経済的発展によって「ラフ・サウス」的状況が薄れなければ、作家になれるほどの教育が受けられないという逆説的現実は他のマイノリティも同様だったろう。
 第四章から順に郊外小説、ノワール小説、ゴシック小説とジャンル小説の流れを辿り、第七章では「アメリカ的」なジャンルのひとつ「ロード・ノヴェル」を取り上げる。このジャンルを定着させた「ホーボー小説」が興味深い。大恐慌による失業の結果、「職を求めて無賃乗車で放浪するホーボーが大量に出現し」、これらの問題が批判的に描かれた。戦後、ホーボーが「社会問題」ではなくなり、旅の目的は抽象的な自分探しやアメリカ探しとなる。続く第八章では目的を失い、社会への反抗も、逃走もしない主人公の姿を描く「ドロップアウト小説」が扱われる。ジャンルを切り分ける境界線もまた常に揺らいでいるのだろう。
 戦争小説を扱う第九章は「アメリカの『お家芸』」と題され、「あらゆるアメリカ小説は戦争の影響下で書かれてきた」という。だが、ベトナム戦争を経てようやく「自己批評性」をもつ作品が生まれた。ここで紹介されるティム・オブライエンは、「間違った戦争であると思いながら従軍した自分に戦争を批判する権利があるのか」と自問する。いつの時代も、作家は常に境界線の前に立ち「誰が」書き得るのかと葛藤してきたのだろう。イラク戦争以降、著者は、戦争からの「距離」が生じていると指摘する。「個人」として戦争を引き受けようというオブライエンのような切迫感は薄くなり、「『実体験』がなくても戦争=対象にアクセスできるというパラダイム・シフトが生じている」のだ。第一〇章はメタフィクション、続く二章は歴史小説に充てられる。歴史とフィクション、歴史と現実との間の境界が曖昧となり、読者もまた翻弄されることがうかがえる。
 第一三章以降は、戦後「書きやすく」なった作家/主題が紹介される。まず、「最大のマイノリティ」である女性文学、その後、同性愛文学、ユダヤ系文学、黒人文学、先住民文学の各章が続く。いずれも「境界線」によって、それまでは「他者」とみなされていた存在だ。これらマイノリティ文学の興隆は、公民権運動と連動して各マイノリティがアイデンティティを求めた運動により、「普通」の「アメリカ人」とのあいだに引かれていた境界線が薄れた結果である。
 第一八章から四章はアジア系文学で、まず、中国系と韓国系、次に日系文学に一章を割き、戦後、収容所体験に関して沈黙を守り、「アメリカ社会への同化に精力を傾けた」世代から、収容所時代を知らない三世への流れを示す。フィリピン系とベトナム系の作家はそれぞれアメリカの介入による複雑な歴史的背景を反映し「祖国」を描いてきた。特に、ベトナム系は「アメリカ作家」が築いたステレオタイプに抗う必要があったという。インド系作家には他の「人種系作家」のような強い「葛藤」がないという指摘が興味深い。ここにも境界線の存在/濃淡の違いが現れている。その後、チカーノ文学、カリブ系文学と移民文学の章が続き、第二四章は対照的に、アメリカから「出ていった」作家に焦点を当てる。第二五章ではエコフィクションを扱い、人間の自然に対する意識の変化を示す。最終章では、「白人男性作家」フォークナーが「書きにくさ」を感じ始めた時期に、対照的な「黒人女性作家」トニ・モリスンが登場してアメリカ史全体の「読み直し」を行い、戦後アメリカ文学を代表する存在となったことを指摘して本書を締めくくる。
 以上のように多彩な各章の解説を読み、幅広く紹介された作家と作品を知ることで、「知っていると思っていた世界が、実は知らない世界だった」という事実を突きつけられる。本書が示してくれた見取り図を頼りに、実際に書を手に取り、アメリカ小説探訪の旅に出よう。
(大学講師)

「図書新聞」No.3582 ・ 2023年03月11日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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