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江戸智美評 ジプシー・ローズ・リー『Gストリング殺人事件』(柿沼瑛子 訳、国書刊行会)

評者◆江戸智美
バーレスク劇場の舞台裏をのぞき見る――犯行の根底に潜む偏見とは
Gストリング殺人事件
ジプシー・ローズ・リー 著、柿沼瑛子 訳
国書刊行会
No.3578 ・ 2023年02月11日

■「バーレスク劇場に死体がごろごろ転がっている光景なんてそう忘れられるものじゃない」。冒頭の一文がいきなり悲惨な光景を映し出し、身構えてしまうかもしれない。だが、大量殺人事件で死体が「ごろごろ」転がっていたわけではない。そもそも事件が発覚するのは本書の三分の一を過ぎたあたり。それまでの章には、「そのときには大したこととは思わなかった小さな出来事」の数々が記される。しかし、見逃してしまいそうな小さな出来事こそが事件解決の糸口となり得る。時には糸が絡み合って事態が複雑になり、思わぬ展開に至る。
 忘れてならないのは凶器となる糸の存在だ。Gストリング――本書にはこう記されている。
 「なんとも小さいものだが」ある登場人物が言う。「なんとも物騒なものでもある」(二九九ページ)。
 一九四一年に発行された『Gストリング殺人事件』は、当時、バーレスク劇場のストリッパーとして人気を博していたジプシー・ローズ・リーが書いたミステリー作品として一躍注目を浴びた。劇場に出演するストリッパーやコメディアンを中心に、楽屋や舞台袖で繰り広げられる出来事――まさに大したことではないけれど、だれもが思わずのぞき見したくなる舞台裏の日常が軽妙なタッチで綴られる。
 ボードビル一座の役者だったローズ・ルイーズは生活が困窮し、背に腹は代えられぬと、バーレスク劇場のオーナー、H・I・モスの誘いに応じる。ストリッパー、ジプシー・ローズ・リーの誕生だ。モスの指示どおり改名し、契約の更新を繰り返して二年が過ぎた頃、ニューヨークのオールド・オペラ劇場進出のチャンスがめぐってくる。子供劇団時代からの親友ジージーの売り込みにも成功し、二人は揃って新たな舞台へと乗り込んだ。一八九〇年代にオペラ専用だった劇場は「エレガンスの権化」と呼ぶにふさわしく、大理石のファサード、大階段、バルコニー席、見上げれば天使の天井画など、金箔が少々剥げていようが、細部が古びていようが、かつての栄華の痕跡を至るところに残している。ここで銃弾が飛び交うことになろうとは――。
 各階の楽屋を貫いている通気パイプは電話代わりに使えて便利だ。聞かれて困る場合はメイク落とし用のタオルを詰めるが、これを逆手にとって偽情報を流せば、簡単に人を欺くこともできる。幕の上げ下ろし担当の古株ハーミットは天井に上がったまま一日を過ごす。必要なものを届けてもらうには、エレベーターと呼ぶ滑車を利用した通い箱が大活躍だ。暗闇を滑るエレベーターにジプシーが見た一瞬の輝きは、小さな出来事として頭の片隅に追いやられる。警察の手入れに対処する連携プレー、屋根をつたって楽屋まで出前をしてくれる中華料理店、新聞記者の目をくらませる石炭シュートからの脱出劇。次から次へとテンポよく語られる、現場を知り尽くした作者ならではの細かい描写やエピソードにすっかり引き込まれ、冒頭の一文を忘れてしまいそうになるほどだ。
 そんな読者の油断を見透かしたかのように、思わぬ場面で遺体が発見される。警察の事情聴取が始まると、登場人物の本領発揮だ。日々、リハーサルと本番の舞台をこなしている彼らは些細な合図を敏感に察知し、阿吽の呼吸で話を逸らすことも、目を真っ赤に泣きはらしてみせることも朝飯前だ。あっさり前言を翻すこともいとわない。読者も翻弄されて思わずページを逆に繰って確認したくなる。だが、優しげな笑みを浮かべ鷹揚に構える巡査部長の前に出ると、言わなくてもいいことまで語ってしまう。仲間への疑いを晴らそうと結束しても、いざとなれば自分の身を守ることが最優先となるのも当然だ。
 さらに新たな事件の糸が絡まると、先の展開が気になりページを繰る手に拍車がかかる。死体は同時に「ごろごろ」転がったりはしないが、累積数を考えると衝撃的な場面に遭遇したジプシーが「ごろごろ」と言いたくなるのも納得できる。真相究明に一役買うのはジプシーの恋人、コメディアンのビフである。言葉を操るプロとして、終始、当意即妙のダジャレやオチのある台詞を提供してみせる。巡査部長に感謝されるほどの活躍だったが、ジプシーを危険な状況に追いやりハラハラさせられた。言葉は登場人物の個性を表す大きな要素だが、美貌のストリッパー、アリス・エンジェルの「ですよぅ」、「ですってぇ」という語尾は、子供っぽくて舌足らずな話し方をうまく表している。新訳のおかげで作家ジプシーの文章が生き生きと伝わってくる。
 本作品は出版当初から代作者の存在が噂されていた。この問題について、本書には酔眼俊一郎氏の丁寧な解説が収められており、現実世界での謎解きにも興味をそそられる。「誰に書いてもらったんだい?」と訊かれたジプシーが「誰に読んでもらったの?」とやり返したという小気味いいエピソードは、誇り高くウィットあふれるジプシー本人をよく表している。ストリッパーに知性は無縁、身体さえあればよい、などという世間の思い込みに反発するジプシーの発言も残っているが、本作では、楽屋でわからない言葉を耳にしたストリッパーのドリーが辞書を引く場面が思い出される。
 ジプシー自身が「書ける人」であると証明しただけでなく、当時の社会で周縁に追いやられていた人々を描き、バーレスク劇場というアメリカの文化を記録した点でも本作品は大きな意味がある。組合や株券に関する現実的な言及もあり、煌びやかな舞台の裏で、人々が生き抜くために直面していた問題も描かれている。ユーモラスな語り口で複雑な人間模様を反映した事件を描きつつ、犯行の根底に潜む偏見を示唆した作家ジプシー・ローズ・リーは、声なき人々に目を向け、社会に対し声を上げた先駆的女性としても注目されるべきだろう。原作の初版から八一年という年月を経た今、国書刊行会の「奇想天外の本棚」シリーズ第二弾として再びスポットライトを浴びた本書は、きっと新たなジプシーファンを生み出すだろう。
(大学講師)

「図書新聞」No.3578 ・ 2023年2月11日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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