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桑名真弓評 クエンティン・タランティーノ『その昔、ハリウッドで』(田口俊樹訳、文藝春秋)

評者◆桑名真弓
これは映画を書き起こしたノベライゼーションではない――映画を作る前からタランティーノの頭の中にあった原作を文字にしたのだ
その昔、ハリウッドで
クエンティン・タランティーノ 著、田口俊樹 訳
文藝春秋
No.3600 ・ 2023年07月22日

■天は二物を与えずと言うが、映画監督クエンティン・タランティーノにその言葉は当てはまらない。本書『その昔、ハリウッドで』はタランティーノが監督をした映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(二〇一九年)を自ら書き起こしたノベライゼーションなのだが、実在の映画や俳優と架空の登場人物が絡みあい、初の小説とは思えないほど濃厚に、映画以上に〈その昔のハリウッド〉を蘇らせている。
 物語の舞台は一九六九年のハリウッド。俳優のリック・ダルトンはテレビ西部劇『賞金稼ぎの掟』で主役を演じて一世を風靡したものの、今はその人気が下降の一途を辿り、最近は前途有望な若手俳優の引き立て役や悪役しか回ってこない。このままハリウッドにしがみつくのか、有力なプロデューサーの誘いに乗ってイタリアに渡り、軽蔑しているマカロニウエスタンで主演を務めるのか思い悩んでいる。リック専属のスタントマン、クリフ・ブースは撮影現場で問題を起こして以来、仕事を干され、リックの付き人兼運転手で糊口をしのいでいる。
 本書はこの二人を中心に、リックの隣人である人気監督のロマン・ポランスキーと妻で女優のシャロン・テートの暮らしぶり、チャールズ・マンソン・ファミリーの内情、そして劇中劇を織り交ぜながら進んでいく。
 ある日、クリフはドラマの撮影現場にリックを送り届けると、ヒッチハイクをしていたヒッピー娘のプッシーキャットを拾う。かつて撮影で何度も訪れたスパーン牧場に大勢のヒッピーが住み着いているのを知り、老齢の牧場主が騙されているのではないかと疑念を抱く。果たして、そこにはお世話係と称する赤毛のスクウィーキーが張り付いている。
 一方のリックは顔がほとんど隠れるような付け髭とカツラを強要され、落ち込んだ気分で撮影のセットに向かう。今回演じるのは西部劇『対決ランサー牧場』の悪役ケイレブ・デカトゥー。地域最大の牧場を執拗に襲う牛泥棒一味の首領だ。牧場主のマードック・ランサーは離れて暮らす、腹違いの二人の息子に助けを求め、ケイレブ一味を追い払った暁には牧場を譲ると約束する。しかし次男のジョニーはかつて母を牧場から追い出した父を憎んでいる。しかもランサー家の誰にも知られていないが、ケイレブとは親友だ。ジョニーがランサー家の息子だと知らないケイレブと手を組み、父を殺して母親の復讐を果たすのか、ケイレブを殺して牧場を手に入れるのか。やがてケイレブがジョニーの異母妹ミラベラを誘拐し、身代金を要求する山場を迎える。
 この小説には映画では見どころのひとつだった、クリフがチャールズ・マンソンの信者たちと対決する場面はない。クライマックスのリックの家の襲撃事件もさらりとしか出てこない。では何が書かれているのか? それは映画では語られなかった場面、物語、登場人物たちの過去やその後の人生だ。例えばマンソン信者のプッシーキャットと赤毛のスクウィーキーのキャラクターは小説のほうが際立っている。映画のクリフは喧嘩が強くて独身だということぐらいしかわからないが、小説では女の好みから性癖、クリフ流の喧嘩必勝法、妻殺しの過去、その罪を逃れた背景などが詳しく語られている。しかも実は映画マニアで、ハリウッド映画のみならず、ヨーロッパ映画や日本映画、芸術ポルノに至るまで、作品の分析と評価、俳優や監督の逸話をこれでもかというほど繰り出してくる。クリフの姿を借りたタランティーノの映画愛がひしひしと伝わってきて、読みながらにやけてしまうほどだ。そして映画では小生意気な子役に過ぎないが、小説では最優秀助演俳優賞に匹敵するのが、ミラベラ役のトゥルーディ・フレイザーだ。わずか八歳にして「(自分の演技が)最高とは行かなかったときの言いわけに、わたしの年齢を利用しないで」と言ってのけ、時にアクターズ・スタジオの演劇論を交えながら、リックと共にいかに演じるかを追求していく。自分をかっこ良く見せることしか考えていなかったリックが、プロ意識が高いトゥルーディと出会ったことで、真剣に役作りに取り組むようになる過程は読む者を魅了するだろう。
 映画にしかない場面がある。小説にしかない物語がある。映画と小説では時系列も結末も異なっている。もちろん、映画だけ、小説だけでも十分楽しめる。しかし、両方をあわせることで細部にまで光が当たり、あの時代のハリウッドの空気感がより立体的に、より色濃く伝わってくる。
 ぜひ映画版と小説をあわせて楽しむことをお勧めする。タランティーノが愛してやまない、〈その昔のハリウッド〉が重層的に体感できるはずだ。
(翻訳者/ライター/アパレル貿易コンサルタント)

「図書新聞」No.3600・ 2023年07月22日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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