韓歴二十歳 最終章(1)
キムチの章/キムチ片手に涙の帰国~その後の話◆餞別のキムチを抱えて完全帰国。そして僕はコリアン・フード・コラムニストになる。
コリアン・フード・コラムニストの八田靖史(はったやすし)が25歳のときに書いた23歳だった20年前(1999~2000年)の韓国留学記。
※情報は当時のもの
<第9章おまけコラムから続く>
<第1章(1)から読む>
◆
10、キムチ片手に涙の帰国~その後の話
僕の帰国は12月15日に決まった。語学堂の卒業式は8日だったが、最後ということでビザの期限ギリギリまで粘って帰ることにしたのだ。
日本語同好会のメンバーに日程を告げると、帰る前にMTに行こうという話になった。もともとMTに行こうという話はあったのだが、送別会を兼ねる意味で、日程を僕の帰国前に持ってきたのだ。12月9日から1泊2日。卒業式の翌日であり、僕にとっては最後の土日であった。いい記念になりそうだ。
クラスメートの間では、卒業式に向けて服装をどうするかがひとつの懸案事項となっていた。韓国の伝統衣装、韓服(ハンボク)をレンタルするのが定番ではあるが、自国の民族衣装で登場する人も多く、ウケ狙いでふざけた格好をする人もいたりして、それもまた許されるくらいのフォーマルさである。
僕はレンタルではなく、生活韓服(センファルハンボク)と呼ばれる略式の韓服を事前に購入していた。知り合いの紹介で専門店に行き、特別割引お友達価格の10万ウォン少々で買ったものだ。フォーマルな場でも着られるとは聞いていたが、まわりが正式な韓服であることを考えるとやや見劣りする気もした。
「こんな感じですけど、どうですかねえ」
「似合うじゃない。いいと思うよ」
寄宿舎で試着した僕を見て田辺さんが言う。
「正式な韓服に比べると地味じゃないですか?」
僕は袖口をつかみ、全身Tの字で自分の姿を眺める。
「アフロのヅラをつけるのはどうですか? 僕らが喉自慢大会で使ったやつ」
三河さんが笑いながら言う。
「うーん、そういう線もアリですが」
「いいじゃないですか。目立ちますよ」
「その方向で行くにしても、もっとさりげない笑いでいい気がしません?」
「さりげない……。それならこれを履いていけば?」
田辺さんが指差したのは、ピンク色の動物スリッパだった。
夏に誕生日プレゼントとしてもらったもの。着ぐるみ風に巨大でモコモコとしたもので、履くと全身がアンバランスになって面白い。
「あ、このぐらいならいいかも」
不思議と韓服の色合いにも合ったので、僕はピンクのモコモコスリッパに生活韓服といういでたちで卒業式に臨むことを決めた。
同じころ、トトロ会長を始めとする日本語同好会運営陣の面々はMTの準備に奔走していた。参加者を募ってみると今回も約30名という大所帯になった。目的地までの交通手段や宿泊施設、食料の手配、参加者確認、現地で何をするかなど、運営陣は連日の会議を行い、裏方としての仕事にてんてこ舞いだった。
対照的に本来イベント担当であるはずのミョンス兄貴は、腑抜け街道まっしぐらだった。あれほど仕事と同好会活動の両立を頑張っていたのに、ミナ姉の紹介で彼女ができるや、勉強会よりもデートを優先し、みんなの顰蹙を買っていた。
以下はMTにあたってミョンス兄貴が掲示板に書き込んだ文章である。
<MTについて……>
あのー。
あのですねえ……。
へへへ。MTなんですが……。
やっぱり年末は家族と一緒にということで……???
そんで、そんでですねえ。えーと。
彼女(=家族?)と一緒に行ってもいいですか?
えへへへへへー。
ちょっと性格が細かいけど、いい子なんですよ。
えへへへへへー。
何人かの人は会ったことありますよね。
あはははははー。
じゃ、そういうことで、みなさん良い1日を。
ばいばーい。
これを読んだ僕は思わず天を仰いだ。マッチョイズムに服を着せたような性格はどこへやら。掲示板には好意的な返事が並んでいたが、僕は見ていてたいへん複雑だった。
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