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韓歴二十歳 第1章(1)

サムギョプサルの章/初めて食べた本場の焼肉は豚のバラ肉だった……留学3日目に入った寄宿舎で僕は豚焼肉とカラオケに撃沈する。

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 韓国に留学生として渡ったのが20年前(1999年9月20日)。そこから1年3ヶ月という期間は、23歳の僕に大きな変化をもたらしました。物書きを志して、その体験を留学記にまとめたのが25歳の頃。世には出なかった拙い没原稿ですが、そこには当時のストレートな本音が詰まっていました。

コリアン・フード・コラムニストの八田靖史(はったやすし)が25歳のときに書いた23歳だった20年前(1999~2000年)の韓国留学記。
※情報は当時のもの

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1、初めて食べた本場の焼肉は豚のバラ肉だった

 韓国に到着して最初の3日間。僕の韓国生活スタートは最悪だった。これが2泊3日の韓国ツアーだったなら、僕は2度と韓国の地を踏まなかっただろう。

 だが幸いにして僕の韓国滞在期間は2泊3日でなく、1年をはるかに超えていた。ここだけの話3日目で帰ろうかとも思ったが、今考えるとうっかり帰ってしまわなくて本当によかった。

 1999年9月20日。

 残暑厳しい日本は30度を越す強烈に暑い日だった。

 その場に突っ立っているだけでもTシャツに汗がにじみ、ワキの下の芳香が気になるような暑さだった。ただでさえ重い荷物を抱えてイライラしている上、新生活への不安でナーバスになっていた僕は、ギラギラ照りつける太陽がこの上なくいまいましく、

「もう9月も終りじゃ、アホ!」

 と毒づいてしたたる汗を拭ったのだった。

 ところがいざソウルに着いてみると、一転してものすごく涼しい。気温はわずか17度。天候は雨であった。

 僕はその日の日記にこう書いている。

―成田を飛行機が発ったのがPM6時前。ユナイテッド航空883便を利用した。機内でも僕は落ち着きがなく、前もって購入した雑誌を開いたり閉じたり、目の前の収納にしまったり出したり。昼にラーメンを一杯食べただけなのに機内食がわりの軽食すらのどを通らない。緊張でお腹が痛くなりトイレに行こうとするとタイミング悪く乱気流にぶつかり着席せよとのアナウンス。パーサーにひと言いえばトイレくらいは行ってもかまわないのだろうがそれができない。なんだか惨憺たる状況である。悲しみの中それでも到着を待っていると再びアナウンスが流れ、本日ソウルは気温17度、天候は雨と伝えられた。17度?日本はTシャツでも汗がにじむほどなのに17度でしかも雨。もはや「心細い」どころか「おうちに帰りたい」である。―

 夜遅い飛行機だったのも失敗だった。

 僕は迂闊にもその日泊まるホテルすら予約しておらず、雨の中ずぶぬれになりながらその日の宿を探し求めて歩いた。人のいない真っ暗な大通りを行ったり来たりしながら、道に迷い、ときどき段差につまずいたりしながら、夜遅く、やっと窓のない3級ホテルの一室に転がり込んだのだった。

<第1章(2)に続く>


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