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韓歴二十歳 最終章(3)

コリアン・フード・コラムニストの八田靖史(はったやすし)が25歳のときに書いた23歳だった20年前(1999~2000年)の韓国留学記。
※情報は当時のもの
最終章(2)から続く
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 ◆

 実は留学前。僕は小、中学生と遊ぶボランティアリーダーをしていた。サマーキャンプ、スキーキャンプなどの野外活動をたくさん行ってきたので、団体でのコミュニケーションゲームは得意分野であった。

 それをMTスタイルにアレンジしつつ、同好会メンバーに新鮮な気分で、見知らぬゲームを楽しんでもらいたい。それが目的で自ら司会の役割を買って出て、ゲームの選定も含め、すべてを僕にゆだねてもらったのだ。その場面がいよいよやってきた。

 食事を終えた一同を前に、僕は韓国語で話をする。

「さて、みなさん。本日のゲーム大会はワタクシ八田が司会を担当します。まず4チームに分かれてください」

 ゲームの内容はさほど複雑なものではない。最初に行ったのが、順番に振り返ろうゲーム。グループのメンバーが縦一列に並び、目をつぶって、前からひとりずつ、順番に振り返るだけのゲームだ。

 ルール自体は単純明快だが、やってみると意外に難しい。2~3番目までは順番に振り返れても、4、5番目以降はタイミングを図りにくい。そろそろ自分の番だろうか。もう少し待ってみようか。さすがにもう振り返るべきか。などと逡巡しているうちに、はるか後ろの人がクルリと振り返ってしまう。

 それはもちろん目をつぶっているから見えないのだが、周りで見ているとこれがたいへんおかしい。爆笑に包まれる中、後ろの人はより疑心暗鬼に駆られる。

 ひとグループ6人以上いるときにぜひ試してみて欲しい。そのぐらいの人数になると不思議なことに、どんなに作戦会議をしてもうまくいかないのだ。

 そのほか、ジェスチャー伝言ゲーム(お題を順番にジェスチャーで伝え、最後の人が当てる)や、モンスターゲーム(頭6個、腕4本、足4本などと指令を出し、全員でおんぶや肩車をしながら指定された形態を作る)といったゲームを披露した。

 失敗したら焼酎を飲む、MT式のルールを加味したのもよかった。

 部屋は爆笑と熱気に包まれ、異常なまでの盛り上がりを見せた。司会としての責務は無事に果たせたようで、僕は心から安堵したのであった。

 いま振り返っても、このゲーム大会は思い出すと誇らしい。日程的なタイミングとしても、僕の語学力を測る意味でも、このMTは卒業式以上のフィナーレであった。

 韓国に来て3日目にこの同好会と出合い、卒業までずっと活動を続けてきたのだから、僕の留学生活は同好会の歩みとともにあったと言ってよい。彼らがいなかったら僕の韓国語はここまで伸びなかっただろうし、なにより生きたものにならなかった。語学堂での勉強はどんなに頑張っても限界がある。授業を離れ、生の会話に触れない限り、いつまでたっても真に話せるようにはならないのだ。

 思えば僕の留学生活は当初、打ちのめされる場面の連続だった。マクドナルドで注文ができない。苦手なスンデを断れない。居酒屋でうまく会話ができず泥酔をする。エクスチェンジで望むような成果が出ない。

 大学で3年間勉強してきたのにこの体たらく。我ながら情けないにもほどがある。

 それがどうだ。韓国に来て1年3ヶ月。同好会活動を経て、たくさんの韓国人にまみれながら、日々居酒屋で飲んだくれ、血ゲロを吐きつつも、ひとつひとつ韓国語を覚え、ついには30人のゲーム大会を仕切るほどになった。

 その雰囲気は我ながらごく自然だったと思う。

 僕が場を取り仕切ること。ルールを説明すること。場を盛り上げつつ進行すること。そこに不自然さはなかった……と信じたい。もちろんそれはこれまでの関係性あってこそではあるが、僕はみんなから教わった韓国語を使って、ひとつの役割を成し遂げた。

 それはある意味、恩師に向けた報告のようなもの。それを終えた僕は最大級の感謝とともに、限りない達成感を得ていた。

 僕は韓国語を話せるようになった。

最終章(4)に続く

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