『わかりやすい』って素敵
んなわけねぇだろ。モナ・リザの鼻の部分だけ見せられて『お ナイスデザイン』なんてのたまってるのと一緒です。言い換えると著しく情報が欠落しているのです。
絵も文も映画も音楽も『総体』であるから価値がある。
あっ、コンニチワー。
で、話題になったファスト映画然り、このnote上でも文学作品を要約して紹介したり、YouTubeでも『わかりやすく』した動画が散見される。
それを見て話題のタネにしたりするんですかね? まあ、それは何も語ってないと同義ですが(╹◡╹)
テレビでもさ、名曲のサビだけ流すって体の企画がありますよね。個々の記憶や経験や状況に結びついた音楽体験が存在するのに『ほら、名曲のサビだぞ。いや〜やっぱいいね』と押し付けられる前にリモコンに手が伸びます。
つまり体験そのものなのです。
先生『はい、今度の遠足はおみゅり公園に行き、そこにいる動物たちと触れ合ってもらい、感想を書きます。まあ、実際には行かないんですけど。ではこちらのテキストに目を通し、可能な限り想像して行った気になってください(。-∀-)』
実際に見て、実際に聞いて、そこから発生する心の微細な動きそのものが大切なのに。それを知ってるハズなのに。
どうして、どうしてファスト映画やら要約されたモノに飛びつくの?
どうしてそういう動画を作って語ってる人の顔は受け付けられないの?
どうしてトムヤンクンヌードルはおいしいの?
……そもそも何故そんなものが作られるのか。
…………金か?
まあいいさ、要するに(!?)
わかりにくいモノに飛びつこう。
未知への好奇心、未知の不愉快さ、それらを歓迎する覚悟だけ持っていればいい。
『差』に優劣をつけず、あるがまま。
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