書くは修行でし多分

脆い積み木のようなもんだ思考ってのは。破綻や矛盾は日常茶飯事。

だがそれでも立脚を繰り返し理屈の構築を諦めてはいけない。果てのないトライ&エラーが遊びの醍醐味。

べつに成果なんていらない。
遊びの過程で『変化』を感じ取れればな。

だからこそ破綻を恐れ慎重になるのはオススメしない。理論を正確にしようとすればするほど、いつか自分にウソをつく。そして次第にどれがウソやら。

大事なのは『自分は積み上げている』という感覚を日々維持すること。破綻や矛盾はただの通過儀礼。どんどんやれ。そんでもって正直に書け。

他人の理屈をそのまま持ってくんなよ。確実に私は眉をひそめる。賛同するまではいいが、息巻いてそんなもん紹介すんな。

今日も『面白きこともなき世をおもしろく』という引用を見た。いいか、これを言った彼と紹介した人物の人生や思考や前提……なにもかも違う。
だからどこまで行っても『わかった気がしてるだけ』なんだ。

つまり時間のムダ。
他人の思考なんざ参考程度にしとけ。胸に刻むのもいい。だが、そのままお出しすんなよ。
じゃないと……言えるか❓
たとえば戦火を浴び大切な人を失った、その人の前で『世をおもしろく』なんて。

想像力に自信がねぇんなら他人の言葉を信じるな。
せめて自分で捻り出して、自分で責任とれ。

目移りすんなよ。
『この場合はコレがいいかも』
『この場合はアレが――』

まあ過程としちゃあいいかもな。遊びに多大な時間を費やせば法則性が見えてくる。

そしてその法則性とやらを察知したらどうするか。

答えはもう わかってるハズだ
遊びてぇなら
遊びたくねぇなら
夕日の影は 終わりの合図か❓

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