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対人恐怖症なんですから。

みなさま、こんにちは。😀
今日も期待を裏切らない☔️と☁️のベルギー🇧🇪です。
日本は猛暑🔥と聞いています。
どうぞ健康第一でお過ごしくださいね。


みなさまはMixiを覚えていますか。
まだ存在するんですよね。
わたくしもまだそこに自分のアカウントが残っているんですから。
以前そこに色々と書いたものです。
懐かしくなったんですから、読み返してみたんですから。

それが、こちらなんですから。
タイトルは「対人恐怖症」なんですから。


「対人恐怖症」

2012年05月03日

自分が対人恐怖症なのではないかと感じる瞬間が多々ある。

「対人恐怖症ならCAにはなれない」
と人は言う。

その通りなのだが、制服を着ているときは何かが違う。
それは与えられた役割をこなす仕事だから大丈夫なのだ。


ウィキペディアで「対人恐怖症」を調べてみよう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E6%81%90%E6%80%96%E7%97%87

これによると、対人恐怖症の症状にはいくつかあることが分かる。
中でも、とりわけ、以下の症状は特に自分に関係しているように思われる。

視線恐怖症 - 他人あるいは自分の視線を気にしてしまう。 他者視線恐怖症 - 他人の視線が気になってしまう。 例:話している相手の目線が気になって自然に話せない。
例:集団の中にいると全員から見られている気がしておちつかない。人とすれ違うときに相手から見られている気がする。

自己視線恐怖症 - 自分の視線の置き場に困る。(例:バスや電車の車内など)

醜形恐怖症 - 自分の顔だちや体が醜いと思い込み(実際にはそう醜くない場合も珍しくない)、過度の劣等感を抱え、うまく対人関係を築けない。比較的女性に多く見られる。

嫌疑恐怖症 - 周囲から自分が犯人だと疑われているのではないかと思ってしまう。 例:スーパーで、周囲の人から自分が万引犯だと思われてしまっているのではないかと思う。
例:満員電車の中で、周囲の人から自分が痴漢と間違われているのではないかと思ってしまう。

電話恐怖症 - 人ごみの中で電話する時、周囲の人から聞き耳をたてられているように感じ、うまく話せない。

会食恐怖症 - レストランなど、人ごみの中で落ち着いて食事をとる事が出来ない。視線恐怖症の延長線上にあるとも言える。

雑談恐怖症 - 自信の喪失などによって、自分は会話が下手な人間だと思い込み、自然な会話が出来なくなる。これに陥った人の多くは、会話術などの本を読み漁ったりするが、根本的な原因は「自分は会話が下手だという思い込み」にある。


昨日も今日もひきこもり。

今日はやっと近くのスーパーまで出掛けた。
買い物するとき、周りの視線が気になる。量り売りのバナナを、機械で量ってちゃんと自分でラベルを張れるだろうか。サル顔のボクの行動を周りの人々は心の中で笑っているのではないか。アジア人だから人として扱われないかも知れない。

スーパーへ行き来する道中で。
犯罪者と思われるのではないだろうか。前の人をつけていると思われるのではないだろうか。

アパートへ入るとき、泥棒だと思われるのではないか。

だから、さっさと買うものを買い、帰ってきた。
今日のお友達はPC。



誰か知っている人がそばにいてくれると大丈夫。
それはきっと、制服のようなものなのかもしれない。
「この人の友達です。怪しいものではありません。」とある程度は堂々としていられる。



このように考えるようになったきっかけは、いくつか考えられる。
高校生の頃、電車ホームの整列表示にしたがって一人ならんでいた。すると「どけよ!」と怒鳴られた経験。
小田急の駅員にぞんざいに扱われたのがきっかけで、出掛けているときに道を人に尋ねたりすることができなくなった。
学校で「デブ」とからかわれた。(その反動か、大学時代まで自分はデブだと思い込んでいた。52キロだけど。)
家族の愛情が欠けていた。
などなど。

自分が悪い行動をしたから、自分が不細工に見えるから、だから自分は大切に扱ってもらえない。そう考えてしまう。


だから、出掛けるときには、事細かく調べ上げないと気が済まない。できるだけ他人に尋ねたくない。
旅行に行くとき、バスや電車の乗り方・支払方法を調べる。できることなら他人と話さないで済むようにオンラインブッキングやイーチケットを利用する。
乗り換えは○番線から△番線へ、××通路を通る。などなど。



ある程度分析ができるのだが、分析ができたところで、行動へと移すのはかなりの勇気が要る。

だけど、少しずつ勇気を持てるようにしたいと思う。
もうしばらく生きていかなくてはならない


友よ、そんなボクですが、まだ友でいてくれますか。
友よ、少しずつ少しずつ、回復へ向けて進んでいけたらと思っています。どうか寛大に見守ってください。

友よ、ありがとう。


と、まあ、こんな文章を書いていたんですから。
10年以上も前に書いたものだけれど、考えていることは今も変わっていないし、自分自身も変わっていないです。

そんなわたくしが今でも生きているんですから。ということは、わたくしなりに生きる術を見出したんですからかもしれないんですから。アーメン。


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