普通の毎日でいいから

私のことをわかって欲しいって全ての人に対して思ってた。引きこもりだった頃、私の周りには誰もいなくて誰も私のことを知らなかった。今引きこもりを脱出して日の光を浴びると、途端に自分のことを知ってほしいという気持ちで溢れた。私の全てを知って欲しい、そして肯定してって子供じみたわがままを振り回していた。だから自己開示が尋常じゃなかった。

でも今思う、私は別に全員にわかってもらわなくてもいいんだって。大好きな人にわかってもらえればそれでいいんだって。

このnoteだって誰かにわかって欲しくて承認欲求で書いていたけど、今は大好きなあなたに見てもらえればそれでいいって思っているよ。

最近

・野良ねことの遭遇
ふわっふわなねこ。私を見つけては3歩後退りしてごろんとお腹を見せる。私がにゃーとか言いながら近づくとたまに触らせてくれる。今日は逃げられた。気まぐれなやつ。

・日プ2を見ているよ
やっぱり日プとかいうコンテンツ、面白すぎる。
1はなんだか魑魅魍魎感があってその磨かれてないごちゃごちゃ感が良かったりもするんだけど、2はスッキリとまとまって見やすい。あとトレーナーがいいのは2。どっちもどっちの良さがあるから、どっちの方がいいとかマジでないんだけどね。
井筒裕太も篠原瑞稀も好きだったなぁ…。

・選挙に行きましょう
政治に興味がないという人生はある意味憧れる。きっとこの世を変えて欲しいと願うことがないような順風満帆な人生を歩んできたんだと思うから。私は数多くのマイノリティを抱えて生きてしまっているから嫌でも政治に興味を持つようになった。選挙、行きましょう。若者といえど大人が選挙行かないとか超ダサくてドン引きだから。

・私が死んだら泣いてしまう人なんて大嫌い
全然病んでないんだけどね、私が死んだらどうなるんだろうってよく考える。やすらかって名前だから、「どうぞやすらかに」とか言いづらいだろうなぁとかくだらないことばかり。私が死んだら悲しんでくれる?って推しメンに聞いたことがある(メンヘラ)「もちろん悲しいよ」って言ってくれてその時の私はその言葉を胸に頑張っていた。ODで未遂した後だったから、その言葉が私は救いだった。
私が死んだら葬式ではモノクロマジック/NaNoMoRaLをかけてほしい。最後に私の人生にはなまるをつけてほしいから。
とか考えてると、死にたくなってきちゃうよね〜〜〜。引きこもりだったあの頃の私にとって死は救い以外の何ものでもなかった。死ねばこの苦しみから逃れられる唯一の手段だった。だから今でもたまに死が美しいものとして顔を出す瞬間がある。
死んだら推しメン、悲しんでくれるかな。私のこと忘れないで欲しいな。まぁでも死んだファンは死んだファンにしかなれないんだけどね。思い出いっぱい作りたいからまだ死なない。生誕やりたいし。

ps.小説も絵も描きたいのに筆が進まないよ〜!

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