家族のかたち Ⅳ[オカンからの手紙]
少しでも歯の丈夫な子供に育てたい。オカンは人一倍この想いが、強かったのであろう。
姉貴、僕、弟の3人が小学生の頃、国立大学歯学部の小児歯科で定期検診を受けて育った。
「タクちゃーん、お母さん来てるよー」
と数ヶ月に一度、オカンが自転車で学校まで迎えに来る。授業を途中で抜け、彼女のこぐ自転車の後ろに乗って、10キロ先の大学病院まで通った。
雨の日や、風の強い日でも、オカンは子供を自転車の荷台に乗せて走り続けた。
「お母さんは生まれつき歯が弱かったんよー」
僕の一番古い記憶でも、オカンは既に入れ歯をしていた。
もしかすると、自分の歯の弱さが、子供たちに遺伝しないかと、心配して、大学病院の定期検診を、受けさせていたのかもしれない。
これは祖母から聞いた話だが、オカンがまだお腹の中にいる頃、食べ物がなくて、ほんとうに困窮していた。身籠った当時の祖母は、
「おなかすいたなぁ、、、」
と家の白壁を崩し、それにかぶりついて、カルシウムをとっていたのだという。
昭和25年、徳島の田舎では、女手ひとつで子供3人を育てるのは、かなり厳しい環境であったと想像する。
それがオカンの歯の弱さに起因したのか、今となっては分からない。
施設に入所しているオカンの歯は、無論1本もなく、流動食のような柔らかい物しか食べていなかった。(コロナ禍で入れ歯は使わないルールの施設にいる)
電話の声が、数年ほど前から、聞き取れなくなった。面会が出来るようになり、コロナ禍を施設で過ごしたオカンは、明らかに顎の筋肉が退化していた。そんなオカンが、
「新聞をな、ゆっくりな、読むんよー」
と唯一の楽しみが、ベットの上で新聞を読むことであった。2年程前から僕がこのnoteを書き、弟がそれを印刷してオカンに手紙で送るという、兄弟の連携プレイが始まった。
たまにだが、弟宛にオカンから手紙が届くようになった。ミミズがはった様な字で解読困難であるが、それは何より嬉しい頼りである。
続
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