パンチの不祥事(2,234文字)
人生の大きな転機となった中学の部活について書こうと思う。
中学校に入学して、サッカー部にするか、はたまた、陸上部に入るかで、長らく悩んでいた。
少年サッカーの友達は、ほぼ全員がサッカー部へ入部し、自分だけが、まだどこに入るか決めきれずにいた。
1993年。Jリーグ元年であるこの年は、ボールを蹴ったことがない者までが、サッカー部へ入るという人気ぶりであった。
さらにサッカー部には、昔から仲のいい先輩がたくさんいた。それに比べて、陸上部は知らない3年生が4人のみ、2年生はゼロという弱小部である。
しかし、結局は陸上部に決めるのだが、最初の頃は陸上部員であるのを隠したりもした。
ある日、姉貴の友達で剣道部の女子が
「タクちゃん、何部に入ったん?」
と訊ねてきた。僕は顔を真っ赤にして
「サ、サ、サッカー部です」
と嘘をついて走り去ったことが、一度だけある。
人には得手不得手があり、僕にとってサッカーは後者であろう。少年サッカーを3年程やったが、これといった活躍はなかった。
一方で長い距離を走ることは得意であった。陸上部に入部して、1ヶ月もしないうちに、長距離走を専門とする、三年生の先輩を練習で抜かしていた。
入部して3ヶ月で、県大会に出場。そして1年1500m走で、いきなり3位になった。
中学の陸上競技では、1年、2年、3年生の体力差があるので、短距離は100m走、長距離は1500m走の学年別種目がある。
先輩の3年生が7月の総体で引退すると、1年の5人だけが陸上部に残った。すると僕は入部してたったの4ヶ月で、
「次のキャプテンに決定」
と選ばれてしまう。ちなみに、サッカー部は80人を超える入部があり、全校生徒800人程の学校にしては、人気の高さがうかがえる。
しかし、苛烈なしごきというか、壮絶なボールとポジションの奪い合いによって、その夏には半数以上が、サッカー部を去ることになる。
部活というのは顧問の先生によって、部の性格なるものが出来てくるように思う。
僕が2年になり、陸上部の顧問の先生が代わった。彼は完全なる放任主義でキャプテンの僕に好きなようにやらせてくれた。
そうして後輩が10人も入ってきた。まだ2年なのにキャプテンの僕は
「部費として1人1000円を徴収する」
と言い出して、みんなからお金を集めた。
そして、
「筋肉をつけるぞ」
と週刊少年ジャンプの裏表紙に、載っていたベンチプレスとダンベルを、購入して許可なく部室に置いた。さらに、
「筋トレの効果を上げよう」
と集めたお金でプロテインを買ってくる。そして給食の余った牛乳を勝手にパクり、それを混ぜて飲んだりした。
しかし自由な練習には、妥協というものがついてまわる。県の大会でたまに3位になることはあっても、それ以上の成績がなかなか取れなかった。
中学最終学年の3年になった。僕にとって2度目になる部活紹介は、
「コントで笑いをとる」
幼なじみの顔を墨汁で真っ黒にお化粧して、カールルイスにしたてた。さらに副キャプテンと即席の競走をさせて、
「あなたもカールルイスに勝ちたかったら、陸上部へどうぞ!」
と紹介して会場を沸かせた。その効果もあったのか、新入生がなんと30人も入ってきた。
2年前、5人で始まった陸上部は、総勢50人を超える大所帯になった。それから数年後だが、この陸上部は総体で総合優勝をはたすことになる。
パンチパーマがトレードマークで、みんなからパンチと呼ばれる先生がいた。
徳島駅伝の監督で僕は中学1年の頃に出合ったのだが、隣の中学校で不祥事を起こし、その当時は役場の中にある教育委員会にいた。
僕はそのパンチ先生を訪ねて
「県総体の3000m走で優勝したいので教えてほしい」
と頼み込んだ。彼はそれを、受け入れてくれて、放課後になるとグランドに立ち、ストップウォッチを押してくれた。
町で唯一陸上競技の専門知識を、持つ彼の教え方は上手かった。
6月の県大会で2位。そして7月の県総体ではついに優勝した。8月の四国総体は3位であった。
僕の自慢話はここまで。ここからはパンチの不祥事について書こうと思う。
長髪化問題というのが、当時この辺りの中学生にとって、トレンドになっていた。
男子生徒は全員丸坊主という校則があった。しかし、隣町の中学校は、これを廃止し髪を自由に伸ばすことを選択したのであった。
田舎の中学生あるあるだが、丸坊主の男子生徒に
「今日から髪型を自由にどうぞ」
といきなり言われても、時として迷ってしまう。
校則が長髪化となり2ヶ月が経った頃、一人のやんちゃな生徒が、あろうことかパンチパーマをかけて登校して来た。
当時の体育主任であり、生活指導も任されていたパンチは、中学2年にして自分と同じ髪型をした、その生徒に説教をする。
「お前には、まだ早い、早すぎる・・・」
ごもっともな意見だと思う。ついでにゲンコツを1発くらわした。しかし、それがやんちゃな生徒は気に入らなかった。
パンチが命の次に大事にしている、愛車のベンツになんと、10円玉でキズを入れたのだ。
これに激怒したパンチは、体育教官室にその生徒を閉じ込めた。そして放課後、バリカンで彼のパンチパーマを丸坊主にしてやった。
この一連の出来事をその生徒の親か親戚が徳島新聞にタレ込み、後日、大きな記事になってしまった。それが原因でパンチは教育委員会に更迭されることになる。
ちなみに僕はその半年後に教育委員会にいる彼を訪ねるのだが、そこで出会ったパンチ先生の髪型は丸坊主であった。
完
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