見出し画像

2030年の夢。10年前から10年後を考える。(2) 2020年代を展望する

前編では、これまでの10年を社会の流れと自分に起きた出来事を重ね合わせて振り返りました。

今後の10年がどうなるか、と考えるうえでは、これまでの10年が参考になる部分とならない部分があります。参考になるのは(おそらく)、自分の性格的傾向やそれに基づく行動とその結果のパターンで、これはおそらくこの先10年でも大きな変化はないでしょう。一方、社会の変化やテクノロジーの進展については予測不能と言ってもいいのではないかと思います。おそらく間違いないのは、今後の変化が早く激しくなることはあっても、予想より遅く緩やかになることはなさそうだ、ということ。仮に違ったとしても、早く激しい変化を想定しておく方が対処するのに困らないはずです。

働き方改革とともに葬り去られた言葉の中に、

周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。

というものがあります。この先10年(に限りませんが)、周囲に引きずり回されるくらいなら、引きずっていきたいと思っています。引きずるというと言葉が強いのですが、別な言葉でいうなら「未来を最も正しく予測する方法は、自ら未来を創り出すことである」ということだと思います。

以下は、ごく私的なこの先10年の自分なりのあり方・過ごし方への抱負です。そのままでは役に立たないと思いますが、何か小さくてもインスピレーションが読んだ皆様に湧くのだとしたら、とても嬉しく思います。

2030年までを展望する

1)「第4次産業」にいち早く適応していく

ちきりんさんが下記の記事の中で、「世界共通の構造的な仕事の変化」の図をだしているのですが、

図のなかの農耕時代=第一次産業、工場時代=第二次産業、オフィス時代(現代)=第三次産業、と置き換えると、これから来る(ちきりんさんの言う)「思考時代」は、「第四次産業」の時代と言えるのでは、と思いました。

この「思考時代」は、要はコンピューターや機械、AIやロボットが出来ないことが人間の仕事になる、ということと私は理解していて、論者によって、宗教とアートの時代であるとか、感性の時代であるとか、さまざまに言われています。もちろん、過渡期的には人間の仕事であったものが、時代が進むことでAIやロボットが取って代わるということもあるはずなので、いつ頃の時代(何年先)を想定して考えるか、ということも大切なのですが、確実に今はまだない仕事が生まれてくるのでしょう。その一端は、元旦のこの記事でも紹介されています。

たとえば、料理を作るのはロボットだとして、センサーで料理の糖度とかPHなどは正確に測ることはできても、それが食べて美味しいと感じるものかどうかは、結局は人間が判断することになるのかもしれません。そうであれば、新作の料理をAIが考え出して作ったものを味見する仕事、というのが出来るのかもしれない。

この先の10年はもちろん、人工知能が人間を超える「シンギュラリティ」が訪れるといわれている2045年頃まで、あるいはそれ以上の期間を、生身の人間としての自分が出来ること、やるべきこととはななにか、ということを自問自答し続けていくことは、おそらく間違いないだろう、と思います。

他人が考えて見出したものを、後追いで(アーリーマジョリティくらいのキャズム越え後に)フォローして競争しながら追い越していくのが得意な方もいると思います。自分の場合は、そういう「強者の戦略」には向いていないということを、以前から感覚的には思っていましたし、自分なりに様々に自己分析をしてみた結果としても自覚的に理解したので、自分の場合は、キャズムを越える前の段階でパイは小さくても先行者として生き延びていくことを意識していきたいと考えています。

そう思うと、前編でも触れましたが、2008年当時最後発キャリアで言ってみれば「弱者」だったソフトバンクがいち早くiPhoneを導入したことは、きわめて理にかなった戦略だったのだと、改めて思います。

2)多拠点居住または永遠の旅行者へ

思考の時代、「第四次産業」の時代は、狩猟時代以後ではじめて、定住が必要のない時代になるのだと思います。農業、工場、オフィス、いずれもリアルな場所と結びついていて、そこに行かなければ仕事にならなかったので、それは必然的に定住を要求することに。近年になって、ITの発達でバーチャルオフィスとか、テレカン・テレプレゼンスといった、場所を問わない方法が出て来ましたが、これは第四次産業時代への過渡期的な現象だと理解することが出来そうです。時代が進み、ARVRなどXRの発達と、ロボットの普及、5Gの普及があれば、工場労働や畑仕事も遠隔地から行えるでしょうし、すでに大規模な工場ではロボットが自律的に多くの仕事をこなすのが普通です。それがもっとひろがって、町工場のような小規模な場所とか、まだ人間が関与しなければならない高度で複雑な仕事も、遠隔化・自動化が進んでいく可能性がある。

そうなるなら、夏暑く冬寒い場所に物価の高さを我慢しながら高い住宅費を払って住まなければならない理由は薄れます。少なくても現状では、日本のパスポートを持っていれば3カ月程度を特別にビザなどを取得しなくてもすごせる場所(国)はたくさんあります。そういう国で、自分が心地よく、安心して過ごせるところをいくつか見つけておいて、そういう場所を移動しながら暮らすことも、すでに不可能ではない。現に、一応バリ島を本拠地としながら、必要な時に必要な場所に行く、という生活をすでに始めている知人(尾原さんをご存知の方も多いと思います)もいます。

テクノロジーの恩恵をうけるのは、自分にとっては特にこの部分だと思います。各地にある自分にとっての拠点の状況を把握したり、拠点間の移動を時間的経済的に効率的かつ環境負荷を低減できるものとし、多国間にまたがる必要なお金・通貨の管理をシンプルで無駄のないものにする。

これまで関わってきた通信関連の知見や、フィンテックをはじめとするスタートアップの動向を理解し続けることが、この面では役に立つかと思っています。

3)根源的な仕事(も)する

第三次産業が生まれたからといって、工場がなくなったり、農業が消滅したりしていないのと同じで、「第四次産業」の時代にも、形を変えて第一~三次産業は生き残っていくはずです。もちろん、儲かるかどうか、ということは別で、次数が小さい産業ほど儲からない、というのは、歴史的にはそうだろうと思います。

一方で、人間が生きていく以上は食べていく必要があり、そうであるなら第一次産業がなくなることはないはず。ポイントは、単純な第一次産業をやるのではなかなかお金にならないので、次数の高い産業と組み合わせていくこと。農業の六次化、というのはそういうことだと思います。

また、社会がしばらく変革期にあるなら、「食べる」ことの重要性は上がることはあっても下がることはないだろうと思うと、食を生み出す仕事をやりたいと思っています。

折しも、2019年は環境問題がクローズアップされた年でしたが、今後世界的には人口が増える中で、一層エネルギー消費に加え、水不足が深刻になってくるだろうと思います。一方、先進国は高齢化して働き手も少なくなっていく。そこをある程度ロボットやAIが埋めるとしても、社会が変わると「教師データ」がないということにもなるなら、まだ人間の出番はありそうだと思います。

水の問題、特に水洗トイレの問題と、化学肥料による環境負荷、食料の不足と食の安全性の問題、高齢化による農業生産の低下、そんな問題をひとまとめに解決するための構想、現在はまだ妄想レベルですが、この10年でそれに取り組みはじめたいと考え始めています。現在の農業が六次化の段階だとすれば、それにx4ですから24次化、というところでしょうか。

そして、こうした実ビジネスをやることで、本当の意味でのビジネスオーナーになり、年齢を重ねて体力などが衰えても、働きっぱなしではなくてすむ、という状況も、この10年長ければ20年で、70歳前後までには作っておきたい、とも思います。

4)ポスト資本主義の時代を見据えて

上記のすべてとも関連するのですが、資本主義の次のかたち、というのを考えながら生きていきたいとも思っています。

たとえばシリコンバレーには、世界の富が集まり、GAFAのような企業に勤める人はいい給料をもらっていて、地価を含めた物価があがっているなかで、仕事がないわけでもないのにクルマで路上生活を余儀なくされる人が続出している、といった、滑稽な悲劇のような風景が現実にあるそうです。実際の犯罪性は議論の余地があるにせよ、15億円を「はしたがね」として国外に脱出してしまう刑法犯の容疑者が、元は大企業のトップ、というような状況もあります。どうにも、違和感があるのです。必要以上のお金を調達しておかしくなっているスタートアップのあり方も、またしかりです。

一方、自分が会社を辞めて経験したことは、人とのつながりが、もし必要であるなら必要なだけのお金に変わることがある、ということでした。

もちろん、もっとお金に余裕が欲しいといった気持ちが自分にゼロなのかと言えば、それはゼロではないです。一方で、今の世の中の現実のあり方も、違うのではないかと思います。

人口ピラミッドがピラミッドの形をしていない、日本のような国では、なおさら民主主義と資本主義のセットは、上手く機能しないのではないか、という感じもしています。

現在の自分の会社のあり方もそうですが、上に書いたような食の生産などが実現するならなおさら、改めてお金と社会の仕組みについて考えてみて小さな社会実験などをすることも含めて、やってみたいなと思っています。

このテーマは、実は前編で振り返った10年では足りず、20年ほど前からの問題意識で、長らく持ち越してきているのですが、やはりまたこの問題に帰ってくることになるのだな、という感想です。

おわりに

とりとめがない内容ですが、頭の中の夢想を文字にしたものなので、これでもまだ断片的ではありますし、誰でも読める公開文章なので、細かいところは端折っている部分もあります。

いずれにしても、過去10年の経験・得たことをベースにしながら、ゆるやかに、しかし確実に次にシフトしていく。ただ、シフトしても完全にフェードアウトしてしまう物事は少なくて、濃淡というかウェイトの大小はあっても、これまでのすべてを重ねていく上に次をさらに重ねていく、そんなイメージをもってこの先の10年も過ごしていくのだろうと思いますし、そうしていきたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?