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ソングライティング・ワークブック 第98週:飽くなきお喋り、意識の流れ

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とにかく垂れ流してみる…

Switched on PopでSZAの『無限旋律』について話していた

Switched on Popというポッドキャスト、時々聴いているのだけれど、そこでSZAの『無限旋律』とやらについて話していた。とやら、と言うのは、聴いた時の私の反応が、「え、そこまで言うほどのものなのかな?」というものだったから。それとも『無限旋律』と訳してしまったこちらが悪いのか。要するに、endless melodyである。

一般的にWagner(リヒャルト・ワーグナー)などを語るときに使われる『無限旋律』と言えば、調性だってどこへ行くかわからないような、メロディだけでなく和声も共ににさまようようなものを指すと思う。このポッドキャストも『トリスタンとイゾルデ』を少し引き合いに出しているけれど。もちろん、その音楽の目的も作り方もSZAとは全く違う。『トリスタン』みたいなのは、劇場で、騎士物語と神話のごちゃ混ぜになった壮大なファンタジーにオーディエンスを没入させるという目的があったので、ああいう音楽ができた(下の例は序曲。ポッドキャストでは『愛の死』の方を紹介している)。

SZAの場合はループの上でまあまあ日常的なおしゃべりが続くような、親しまれることを目的とした音楽だ。ポッドキャストのほうも、正しく、ラップの方法がまずSZAの方法でもあることを指摘している。もし何か、古くて没入することを求めていて有名でデカイ音楽を引き合いに出すなら、John Coltraneの『A Love Supreme(至上の愛)』の方だろう。こちらのほうは聴く人に瞑想を求めているところがある。踊りと祈りだ。

Coltraneはちょっと宗教的だけど、SZAの場合は日々のうっ憤であるとか、そういう日常的なおしゃべりだ。話題になっているアルバム『SOS』の最初のトラック『SOS』はそれこそ、版権返せ、みたいなことを言っているみたいだけど。

曲としては、2分に満たない、アルバムのイントロダクションというのが目的で、わざとまとまらないように作ってある。歌詞がそれを正当化している。こんな調子で始まる。基本的にrantなのだ;

Give me a second, give me a minute
Nah, lil' bitch, can't let you finish
And that's right I need commissions on mine

SZA, "SOS"

最後にチベタン・ボウル(お経を読むときの鉦)が鳴らされる。持続的に擦るのではなく、一発打つだけだけど。この場合はちょっとしたユーモアを感じさせる。怒った後で、ちょっと冷静になりましょう、ということかな?

日常会話的なもの、ゴシップ的なもの(exの話とか)を歌ったものは、それこそ日々大量に生産されているようだし、その言葉をラップに近いような、1音(ひとつの音高)の上でまくしたてるような歌も、珍しくない。Taylor Swiftだってやっている。ただ、ポッドキャストが言うように、Swiftのほうはまとまりがあって予測しやすく覚えやすくできているけれど、SZAの方はつかみどころがない感じになる。

面白いのは、ポッドキャストがSZAの「正直さ、オープンさ」を指摘していることだ―そういえば、ずばり「It's so embarassing」と聞き取りやすいメロディで歌っている(all of the things I need living inside meと続く)のもある(『Blind』)。逆に言えば、まとまっていないから「正直さ、オープンさ」を感じさせやすいとも言えるかもしれない。

チベタンボウルだけでなく、どこかのフォークロアをサンプルしているものもある。これも別に祭礼をやろうというのでなく、ちょっと会話が気づまりになってきたので、ちょっと窓の外を眺めましょう、という感じだ。エキゾティックなものがセラピューイックに使われる。

ちなみに、飽くなきお喋りという印象を持つ人といえば、私が真っ先に思い浮かべるのはJoanna Newsomだ。

ループの上で適当に垂れ流す

言葉とメロディが同時にでまかせで出てくる人はそう多くはないかもしれない。いわゆるトップライナーはトラックの上で、言葉とメロディを同時に歌いながら作品にしていく。それは難しくとも、どちらか片方ならなんとか、という人は多いかもしれない。また、ループがあるとやりやすいというのはあるだろう。楽器を演奏できる人なら、DAWを使わないで、単に楽器を支えにして歌うこともできる。その場合、自分が歌おうとしているメロディを同時に楽器で弾くこともできるだろう。

音ばかりを即興する、あるいは即興したつもりで書く、言葉ばかりを即興する、あるいは即興したつもりで書く、言葉とメロディを同時に即興する、あるいは即興したつもりで書く。上手に即興することが目的なのではなくて、最終的に何か作品ができればいいので、つっかえながらで構わない。どれぐらいの時間をかけるかは時と場合による。とりあえず煮詰まることを避ける。調子が良ければ目鼻を付けることを考えていいだろう。

朝シャワーを浴びたら耳に水が入って急に聞こえなくなった。耳垢がたまっているのかなと思って耳かきで取り除こうとしたがだめだった。街を走る車が皆プリウスみたいで、スーパーマーケットがやたら静かだ。週末で近くの耳鼻科も開いていないので、そのまま過ごすことにした。おれ、ひょっとして耳の遠い老人みたいにやたらでかい声でしゃべってない?つれあいに訊いたけど、大丈夫みたいだった。むしろ自分の声や鼓動や足音はよく聞こえる。スタジオで友人と平穏に練習する。月曜日の朝耳鼻科に行った。「耳垢ですね」ベッドに横になり、ドクターが耳垢を除去する。大きなモニターにぼくの耳の中が映っていた。別にそんなもん見せなくていいのに。すぐにいろいろな音が聞こえるようになった。前よりもよく。衣擦れの音、鍵が当たる音、野菜を切る音、トイレで水を流す音、みんな甲高くなって耳に痛いほどだ。まるでハイパスフィルターで高い方の倍音強調したみたいだ。Cobaのアコーディオンの音みたい。この歌のタイトル『ハイパスフィルター』にしようかな。

たまたま思いついて書けることがあった例
ループを作る



私にはこんなの歌えないけれど、歌えたつもりになって書いてみる


実際にこのように歌えたわけではないけれど、でたらめに言葉を発しながら歌っているつもりで時間をかけずに書いてみる。意味はなしていない。

下の動画は旅YouTuberが山の中で言葉とメロディをでまかせに―だろうね―無伴奏で歌っている例。




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