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ソングライティング・ワークブック 第144週:Violeta Parra(5)

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民謡的リズム

伴奏に民謡的特徴があるようだけれど、それと指摘するのは難しい

先週と先々週に取り上げた『Arriba quemando el sol』や『Arauco tiene una pena』と言ったような歌は、一度聴けば、ああ、よくわからないけれど何か民謡由来の音楽に聞こえるな、という感じがする歌だった。いっぽうで、たとえば『Gracias a la vida』や『Volver a los diecisiete』を聴いて、そのメロディやハーモニーから、それらが民謡由来であるとは感じられないだろう。とくに他の歌手たちによってカバーされた場合、もともとの録音が持っていた民謡的な感じが失われていることが多い。すでに紹介したMercedes Sosaによる『Gracias a la vida』は感動的だけれど、少なくともVioleta Parra自身がこの歌を着想したときに聞こえていたものとは違うと言えるだろう。

大きな違いは主に伴奏の仕方にある。Parra自身の演奏は、ギターまたはチャランゴ(ギターより高い音が出る)による弾き語りに大太鼓や足踏みまたはギターなどのボディを合わせたものが多い。Sosaの伴奏もギターだけれど、スタイルが違う。素朴なコードとストロークがParraのギター、チャランゴの特徴だ。

チリの民謡には詳しくないので、どういうリズムがどこから来たのか、ということは私にはわからない。前にも紹介した本『Mapping Violeta Parra's Cultural Landscapes』によると、Parraはいろいろなところから来たものを混ぜていたようだ。チャランゴでは伴奏されていなかった歌にチャランゴで伴奏する、といったように。

リズムパターンも多様で、『Arauco tiene una pena』で紹介したように3拍子だけど低音が2拍目3拍目に来る、といったものもあれば、1拍目に低音が来ることもある。ただ、1拍目に低音が来るといってもワルツのフィーリングはない。

『La jardinera』は3拍子だけど、ちょっとボレロ風に聞こえる。リフレインの「y para saber si me corresponde deshojo un blanco manzanillón」と歌っているところではヘミオラの感じがある。間奏では3連符を入れている。

この3連符をもっと流ちょうにやっている例をYouTubeで見つけた。

ヘミオラの感じはないのだけれど。

いろいろなやり方でカバーされても歌の特徴は失われない

Run Run se fue pa´l norte

『Run Run se fue pa´l norte(ルンルンは北に去った)』もいろいろな人にカバーされている。オリジナルはこう;

駆けて逃げていくような感じ(恋人に去られる歌だ)が伴奏に表現されているように聞こえる。

チリの老舗フォークグループ、Inti Illumani Historicoによる演奏はしっとりしている。皆が「フォルクローレ」と聞くと想像するような音だ。

チリのもっと若い人、Francisca Valenzuelaによるピアノ弾き語りは、合衆国で言ったらRegina Spektorとかに近い。







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