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ソングライティング・ワークブック 第86週:ジャンルとテーマ:自伝と告白

If they ask me, I could write a book
About the way you walk and whisper and look
I could write a preface on how we met
So the world would never forget

And the simple secret of the plot
Is just to tell them that I love you a lot
Then the world discovers as my book ends
How to make two lovers of friends

Richard Rodgers & Lorenz Hart, "I Could Write a Book" (from musical "Pal Joey")

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自分のことを書くということ

あなたがセレブでない限り、誰もあなたの個人的なことには興味がない

あなたが書く歌が不特定多数のオーディエンスのためのもの、つまり友人の何かのお祝いなどのためではない場合、その不特定多数のオーディエンスは普通その歌の出処に興味がない(友人であれば、あなたに興味があるだろう)—そう考えるのが自然かもしれないけれど、私たちの文化の中では話はもう少し複雑になる。特にビジネスということになると。

音楽でもほかのアートでも、作品そのものだけではなく、それにまつわる物語も消費される。悲劇的に若くして死んだ誰それだとか、アートシーンを変えた革命的作品だとか。私自身も含めて、新しいものに触れるときは、そこまでわかりやすい大げさなものでなくても、たいていちょっとした物語がきっかけになる。「この歌は私のこうこういう体験から来ています」というようなインタビュー記事なども、そういうちょっとした物語のひとつだ。

告白調(confessional)の歌を集めたようなアルバムの代表と言えば、古いのだとJoni Mitchellの『Blue』があるけれど、彼女がそれを発表したとき、彼女はすでにセレブだった。音楽雑誌などが彼女の男性関係などを詮索した(Rolling Stone誌などは相関図みたいなものまで掲載した)。そんな状況に対するレスポンスとして発表したのだ。

一般的に女性のほうがプライベートな生活を詮索されやすく、ゴシップのネタになりやすいと言える。告白調、自伝的なポップソング、と聞いて思い浮かべる歌の多くが女性によるもの、という人は多いのではないだろうか?それとも、女性でなくともそのような歌を書く人は多いかもしれないけれど、こと女性が書いた時だけ、作品と作者との関係が取りざたされるということだろうか?

Personal is political

作者本人の体験に根差した作品を創ることの動機はほかにもあって、「私という人間はこれまでこの社会によって形作られてきていて、その体験について書くことはこの社会を顧みることを、作品を受ける人たちに促すことにつながる」というものだ。今となっては言い古された言葉だけれど、Personal is politicalという言葉もある。

無名の書き手の側から

でも、上に書いたいろいろな事情とは別に、有名でないひとりの作家が、それまで生きてきたうえで経験したことを作品に使いたい(それを公言するかどうかは別として)と考えるのは自然なことだ。そもそもそれまで生きてきたから、何か他人に対して言いたいことを持つようになるのだから。また、何かを始めるにあたって、最初は自分のよく知っていることから始めるとやりやすい、ということもあるだろう。

別にその作品があなたの体験に根差しているかどうかは、公言しなくていい(したければしてもいい)。「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ穴のようなものが作品だとも言えなくもないからだ。

Pal Joey(おまけ)

という、1940年代に創られたミュージカルがある。今回の話題とは直接関係はない。作詞はLorenz Hart、作曲はRichard Rodgers。John O'HaraがThe New Yorkerに書いていたいくつかの短編小説をもとに構成された。上に埋め込んだYouTube動画は映画版からの抜粋で、主演はFrank Sinatra。この映画版はオリジナルの舞台版とかなり異なっている。オリジナル舞台は、後のMGMミュージカル映画のスターGene Kelly(『雨に唄えば』の人、と言ったらわかるだろうか?)。Sinatraが演じる主人公、Joey Evansはわりとナイスだけれど、もともとこの役はアンチヒーローで、自分のナイトクラブを持つために金持ちの既婚女性(Vera)をたらしこむという、人を利用してのし上がることしか考えていない人間だ。

そのEvansはVeraに出会う前に、ペットショップの前で(映画では設定が違う)Lindaというおぼこっぽい女の子に出会う。そこでEvansは遊びでLindaを引っかけるのだけど、その時歌うのが『I Could Write a Book』だ。とてもイノセンスな歌だけど、それを「汚れた」Evansが歌う。

物語の終わりでEvansはVeraもLindaも失う(映画版ではLindaと引っ付いてハッピーエンドとなる)。文無しになったEvansはLindaの家でご飯を食べさせてもらうけれど、恋人同士になるわけではない。Evansが最後に改心するかどうかは、舞台がリバイバルされるごとに違うようだ。1952年の舞台では、舞台の幕が下りる直前に、改心したことを表して、Lindaを追いかけるという演出になっていたらしい。

そういうエンディングだと、『I Could Write a Book』は、それを歌っていたEvansにとっては心にもないことを歌っていたつもりだったけれど、オーディエンスにとっては、どこかに残っていたらしいEvansのイノセンスさを象徴するような歌になっていた、と言えなくもない。

「心にもないこと」がいつも嘘であるとは限らない。本人さえも知らない本心かもしれない。


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