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なぜ大人げもなく年寄りにいらいらするのか-介護の日々

会社勤めをしていた昨年末まで、私はあまり怒らない人というのが周囲からの評判でした。上から理不尽なことが下りてきても、部下がなにかとんでもない失敗をしても、怒らない、あせらないほうだったと、自分でも思います。
それはビジネスの世界では、悪くないことでしょう。一般的に言っても、良いこととしてカウントされるかもしれません。

もっともこれは「美点」とまでは言い切れないところもあって、私の場合、なにか怒りの感情を自分で抑圧しているようなところがあったかもしれません。それによって、実はさまざまなほかの感情(嬉しいとか悲しい、これはいやだな、とかなど)まで失ってしまっていたのではないかと思います。
いま、それを取り戻すのに若干、苦労しているような気がします。
また、若い人から時々言われたのが、「もっと怒ってくださいよ」「怒ってくれないと、何が問題で何が問題でないのかわかりません」「怒ってくれないと、自分も怒りにくいです」などなど。
そういう言葉から、自分が怒ることには、実は怒る以外の意味もあるのだということを教えてもらいました。でも、どうもあまりうまく怒れませんでした。

ところが、これが母親に対しては、すぐにイラっと来てしまうのですね。これは同居をしてからの話ではなくて、その前からです。それでも土日しか会わないころは優しい気持ちになりやすくて、我慢するというわけではありませんが、適当にやり過ごしていたと思います。
いまは、いつも二人でいますから、このやり過ごすということが難しい。もちろん同居開始時よりは私もかなり「人間的成長」をしたのか、いつもイライラとしているわけではありません。
それでも、ちょっとしたことでムッとしてしまう自分を発見すると、情けなくなりますね。

これって、なんでなのでしょう???
90歳を越えた人間を相手にしているのだから、もう少し受け入れられないものか、寛容の気持ちを持てないものか…
自己分析は難しいのですが、主には私自身のなかに課題があるのでしょう。

すこしばかり分析してみると...

思ったよりも感謝されていないという気持ちというか、不満はあるように思います。なにかをやってあげているのだという意識があると、どうしてもそれに見合う「感謝」を求めてしまいます。しかし、いまの母からは息子相手だからなのか、単に高齢でそういうことに気が回らないからか、あまり感謝の言葉を聞きません。
まあ、親子なので、向こうもある種の照れがあるのかもしれませんけれど。それから私自身の寂しさのようなもの。これがいちばんの理由かもしれません。
私の知っている母親は、もっといろいろなことができた、得意な料理もあった、しっかりした人だった、というような記憶があるのに、そうではない(それができない)老いた人が目の前にいる。このこと自体をうまく受け止められないのかもしれません。いろいろな瞬間瞬間にがっかりするような気持ちが、どうしても出てきてしまいます。

そして、もっとも大きな理由は、私自身が自分の人生を生きていないということなのでしょう。自分が自分の人生を生きていないからこそ、母親に何かしてあげているという意識の部分に些細なトゲが刺さると、心のバランスが簡単に崩れてしまうのかもしれません。そして、イライラしてしまう。
最初に書いた感謝されていないという実感も、実は自分の精神が整っていないから、相手の感情をキャッチできていないのかもしれません。

こればかりは自分の問題だから、自分でなんとかするしかありません。
ただ、自分がきちんと生きていないと、他人との関係もうまくつくれない、というのは自分でも理解はできますが、本当のところは不完全な自分を自分で許しながら、他人にも寛容な気持ちをもって接するのが良いのかもしれないなあと思います。
自分がきちんとしていればいいのは当然なのですが、それを前提にしてしまうと、きちんとできなかったらずっと問題は解決しないことになってしまいます。そして自分がきちんとしたと思ったときには(そんなときが来るのかどうかも疑問ですが)、相手にも同じことを求めてしまうかもしれません。これは、どうもダメなパターンかもしれませんね。
不完全な自分と、不完全な相手とが一緒に過ごしながら、上手に生きていくというのが必要みたいです。

イライラするときには、深呼吸をしたり、1,2,3と数字を数えたり、あとは物理的な距離をおいたり、そんなことで調整をしています。
母親には私の不機嫌さは伝わるようですが、その理由はわからないように見えます。というか、他人に対する関心も以前に比べるとずいぶんと少なくなっているように思えます。
それでもこの先、どのくらい一緒にいられるかわかりませんが、いやな気持ちの時間よりは、機嫌のよい時間を増やしたいですよね。

イライラが発生してから抑えるのは、なかなか難しいので、その感情が生まれないように接していきたいなと思います。でも、仕事をしていたときのように、あまりにそのことにとらわれて、自分の感情を押し殺してしまうのも良くない、と感じます。
不完全な自分、老いて子どもに近づいていく母、両方を受け入れながらいまの時間を大事に過ごせればいいのですが...

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