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読書。彼女の嘆きへの、答え探しの旅。

教師になって10年ほど経った頃、卒業生たちも社会人になって十分に経験を重ね、立派な大人になった頃の話です。

何人かの卒業生に誘われて、お酒を飲みながら、さまざまな話題に花を咲かせることは何度もありましたが、あのときだけは楽天家の私も、さすがに言葉を失ったことを覚えています。

当時、看護師として小児病棟で働く彼女が話してくれたのは、次のようなことでした。

高校2年の国語の授業で中原中也の勉強をしていたとき、M先生が『27歳で死んだ中也は人の3分の1しか生きることができなかったのではなく、人の3倍のスピードで生きたのだ』という中村光夫の言葉を紹介してくれたことがあります。

私は今でも、先生が紹介してくれたその言葉を、当時の共感の気持ちとともにしっかり覚えています。

でも今、小児病棟で働く看護師として死にゆく子たちを看取らなければならない自分にとって、あの子たちが人の5倍や、6倍のスピードで生きたと思うことは、とうていできません。

おそらく彼女は、ボクの親友でもあるM先生の話を「私も将来、人の3倍、5倍のスピードで生きる人間でありたい」と、いくらかの感動をもって受け取ったのだと思います。

ところが今、目の前の子どもたちを見るにつけ、この話が彼女にとってはあまりにナイーブで甘ったれた、いわば無責任な考えに思えてきた。

それは彼女の実人生に裏打ちされた確かなペシミズムであって、誰にも否定することのできない切実さをもっていたと思います。

何も悪いことをしていないこの私が、どうして不幸に見舞われるのか。

何の罪もない善良な人が、なぜそんな目に遭わなければならないのか。

病気、災害、事故・・・。そうしたことがあるたびに、人はこのような問いを投げかけます。

善良な人がそうでない人と同じように自然の脅威にさらされている世界には、問題があります。

しかし、善良な人だけが自然の驚異から逃れられる世界には、もっと問題があると思います。

切ないことですが、世の中には不条理が確実に存在します。

快刀乱麻、もつれた糸をほどくようにスッキリすることがある一方、理不尽さに納得がいかず戸惑い混乱することも多々あるものです。

「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候」という良寛の言葉。

「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ」という立川談志の言葉。

あれから20年、数々のヒントに出会うことはできましたが、未だに私はこの問いに対する明確な答えを持てていません。

私にとって、読書とは、彼女のあの嘆きに対する答え探しの旅なのかもしれません。

「校内読書感想文集」巻頭言(2019/10/18)より


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