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麻疹の痕 第2話

 翌朝、蔵で僕が自転車の整備をしていたら、立花が話し掛けてきた。今日はオレンジ色のTシャツに、ベージュのハーフパンツというラフな出で立ちだ。
「修一くん、おはよう」
「おはようございます」
 僕は立花の顔をちらっと見て、軽く会釈をすると自転車に目を戻した。
「これって今日のために準備してくれているのかい」
「はい」
「ありがとう。オレ、自転車の整備ってしたことないから助かる」
 これだから都会のヤツは。自分のことくらい自分でできないんだろうか。そう思いながらも僕は笑顔で返す。
「大丈夫です。自転車は好きなんで」
「そっか。遠出したりも、するのかい?」
「近場を回るくらいですよ。ないと高校にも通えませんから」
「そっか。高校生だと車通学って訳にもいかないもんね」
「はい。バイクで通学しているヤツはいますが、僕は自転車くらいの方が好きです。それにお金もかからないですから」
「でも、お小遣いとかあるでしょ。お金のことは、そこまで気にしなくてもいいんじゃない?」
「ウチは決まった小遣いはなくて。父さんの方針で、必要な分だけもらうことになっているんです」
「なるほど。しっかりした親御さんだ」立花は感心したような口振りだ。
「それにしても、今日は話の流れで修一くんに付き合ってもらうことになって、すまなかったね」
「お気になさらないでください。父さんは仕事。母さんは日曜日だから、近くの町の教会。弟の遵二は部活ですから。暇なのは僕くらいなので」
「そうは言っても、用事があるんじゃない?」
「ずっと机に向かっているのも、疲れますんで。良い気分転換になります。はい、準備できましたよ」
「ありがとう。機械がいじれる男って格好いいよな」
「このくらい、たいしたことないです」
「いやいや。オレ、機械オンチだから、うらやましいよ」
 何を言ってるんだか。その時、立花の後ろから、しわがれた声がした。お爺さんの代から、家のことをしてくれている権じいだ。手ぬぐいを被り、作業着姿なので、庭の手入れでもしていたのだろう。八十は過ぎているハズだが、背筋はピンと伸びている。
「坊っちゃん、おはようございます。お出掛けですか」
「おはよう、権じい。今日はこちらの立花さんの案内だよ」
「左様でしたか。こちらが都会からいらっしゃったお客様なのですね」権じいは立花をちらっと見る。
「立花さん、権じいです。家で身の回りの雑用をしてくれているんですよ」
「はじめまして。短い間ですがよろしくお願いします」立花が右手を差し出す。
「こちらこそ。立花様」
 権じいは立花の手を無視して、お辞儀をした。
「ところで、坊っちゃん。今日はこの日射しです。お出掛けになられるのでしたら、帽子を忘れてはなりませんぞ」
「そうだね。申し訳ないけど、立花さんの分も含めて用意してくれるかい」
「もちろん。それでは少々お待ちください」
 そう答えて、権じいは母屋の方に向かっていった。権じいの姿が随分と遠くなると、立花はこちらを見る。
「修一くん、お坊ちゃんなんだね」
「はぁ? やめてください。そんなことないです」
「お手伝いさんがいる家だなんて、オレ初めて見た」
「家族が少ないのに家が大きいから、人の助けを借りないとダメなだけです。お爺さんの頃は名主をしていたようですが、今は田舎のしがない土建屋に過ぎませんよ」
 僕は違う生き物を見るような視線を無視して、母屋へ目をやる。お妙さんが帽子を持って、こちらに来た。
「坊ちゃん、お帽子です」
 お妙さんは二つの麦わら帽子を僕に手渡した。
「あと、井戸水を汲んできましたが、お持ちいたしますか」
「ありがとう。僕は自分で用意した分があるから、立花さん用に一つもらおうかな」
 僕はお妙さんから、ステンレスの水筒を受け取る。
「それでは、お気を付けて」
 そう言うと、お妙さんは母屋の方に戻っていった。
「さて、こちらは出掛ける準備が整いました。立花さんは、よろしいですか」僕は立花に尋ねる。
「ああ。準備万端だよ」
 帽子と水筒を受け取って、立花が返事をした。

 権じいの言った通り、今日は日射しが強い。太陽がてっぺんまで昇る前に、僕は木が多いルートへ入ることにした。
 木陰に入るとひんやりとした空気が流れてくる。玉のように吹き出ていた汗は、すぐに引いていく。振り返ると立花は随分と後ろだ。けど、僕はあまり気にせず進む。
 三十分くらい漕いだだろうか。僕は目的地の目印になる山門の前で自転車を停めて、立花を待った。
「修一くん、早いね」
 立花は、はあはあと肩で息をしながらも、かろうじて笑顔を浮かべている。
「そんなことないですよ」
 僕はなに食わぬ顔で言葉を続けた。
「ここは龍明寺って言います」
「へぇ、どういう由来のお寺なんだい」
「元々は美那郷を古来からお守りする土地神様を祀っていた場所です。江戸時代頃に神仏混合でお寺になりました。今残っている建物は、その頃に建てられたものらしいです」
「修一くん、詳しいね」
「この辺りでお客様を案内できるような観光地は、ここしかないので。何回か案内しているうちに覚えちゃいました」
「いや、きちんと説明できるんだからすごいよ」
「上まで行きますか」
 僕が聞くと立花は階段を見上げる。勾配は緩やかだが、頂上の山門は見えない。
「んー、今日はやめとく」
 そう言ってくれて、助かる。
 そのまま、僕たちは美那郷の中心である役場周辺まで行き、かき氷を出す店へ向かった。天然の氷をユニークなシロップで味付けしていることもあって、ここに来るためだけに遠出してくる観光客もいるらしい。この暑さのせいか、今日もこの辺りには珍しく行列ができている。
 自転車を駐輪場に止めて、最後尾に並んでいたら、店員の中年女性が中から出てきた。先に注文を取って、少しでも待ち時間を減らそうとしているのだろう。
「いらっしゃいませ。よろしければ先に注文をお伺いします。こちら、メニューになりますので、ご覧ください」
「ありがとう」
 僕がメニューを受け取ると、店員はまじまじと僕の顔を見つめた。
「あれ? あんた、高野さんところのご長男じゃないか。お連れさんが見たことない人だったから、気付かなかったよ」
 店員は声をひそめて続ける。
「じゃあ、先に入ってもらおうかね」
「みなさんが待っているのに。僕たちだけ、そういう訳にはいかないです」
「そんな真面目なこと、言わないでおくれ。あんたを待たせたなんてことが知れたら、私がなに言われるか、わかったもんじゃない。私を助けると思って」
 僕は深く息を吐く。
「わかりました」
「わかってくれて助かるよ。じゃあ、私についてきてちょうだい」
 そう言って、店員は列とは違う方向に進んでいく。後に続いて歩いて行くと、裏口らしい木戸の前まで連れていかれた。
「じゃあ、ここでちょっと待っておいておくれ。すぐに準備するから」
 そう言い残して、店員は中に入っていった。
 ここは木陰になっていて、薄暗い。風が通り過ぎて、木々がざわめく。相変わらず蝉の声は喧しい。何か話すべきだろうか。しかし、僕は立花の顔を見たくなかった。
 しばしの沈黙。それを破るかのように、木戸が開く。さっきの店員だ。
「お待たせしたね。秋山のお嬢さんが『ご一緒に、いかがですか』とおっしゃっているんだけど、どうする?」
「わかりました。彼女のご好意をお受けします」
「じゃあ、行こうか」
 僕たちは店員に案内されて、一段高くなった板の間がある襖の前に通された。
「中でお待ちだよ。靴は縁石の上で、お脱ぎくださいね」
「ありがとうございます」
 そう答えて、僕は襖を開ける。
「修一くん、こんにちは」
 秋山詩織は僕たちを茶室のようなデザインの座敷に笑顔で迎え入れてくれた。淡い水色の装いは、彼女に似合っている。僕も笑顔で答える。
「詩織、助かった」
「修一くん。『高野』の名前で特別扱いされるの、嫌いだものね。私が先に入って、ご招待した形にさせて頂いたわ」
 流石は幼なじみだ。こちらの気持ちを察してくれる。
「今日はお父様の代わりにお客様をご案内されているのかしら」
「ああ。こちらは別の自治体から、災害応援で派遣されてきた立花慶太さん。一ヶ月半、ウチにお泊まり頂く」
「はじめまして。立花慶太です」
「こちらこそ。私は秋山詩織と申します。親同士の仲が良くて、修一くんとは小さい頃からの付き合いなんですよ」
「こんな綺麗なお嬢さんと幼なじみだなんて、修一くんが羨ましいな」
「そんな」
 「綺麗だ」なんて台詞をさらっと言えるだなんて。立花は女性の扱いに慣れているようだ。
 頬を赤らめている詩織に、僕は尋ねる。
「今日は一人?」
「婆やと一緒。修一くんを案内するってことになったから、先に車に戻ってもらったけど」
「悪いことをしたね」
「そうね。私から婆やには後でお礼を言っておくわ。ところで、ご案内はこちらが最初なのかしら」
「さっき、龍明寺に行ってきた」
「美那郷の定番スポットだものね」
 詩織は苦笑する。彼女は手元のお茶をひとくち飲んで、立花に話し掛けた。
「そういえば、立花さん。『一ヶ月半、いらっしゃる』って、おっしゃっていたわよね。だったら、三週間後にある龍明寺のお祭りを見ていってください。花火も上がるんですよ」
「是非とも」
 立花は笑顔で答えると、詩織も満足そうな顔をした。
「じゃあ、そろそろ氷を頼もうか」
 僕は二人の話の間に入った。
「そうね。そのために、いらっしゃったんですもの。長話に付き合わせてしまって、ごめんなさい」
「そんなことないよ。詩織ちゃんといろいろお話できて楽しかった」
「そう言って頂けると嬉しいです」
 僕は立花にメニューを手渡す。
「立花さん、こちらがメニューです」
「ありがとう。ちなみに、修一君は何を頼むんだい」
「僕は『このお店では、白蜜』って決めているんです」
「若いのに渋いねぇ。オレは『期間限定』って書いてある、梅のシロップにする」
「わかりました。じゃあ、オーダーしますね」
 僕は襖から顔を出して、通り掛かった店員にオーダーを伝えた。ほどなく店員がかき氷を持ってくる。
「大きいな」
 うず高くそびえるかき氷を見て、立花は声を洩らす。
「一緒に付いているシロップをお好みに合わせてかけて、お召し上がりください」
 店員は説明を済ませて、すぐに部屋を出ていった。立花は、かき氷に琥珀色のシロップをかけて、木のスプーンで掬う。
「うまい」
 一言つぶやく。それからは黙々と食べ続けて、一気に半分くらい平らげてしまった。
「甘いものが、お好きなんですか」
 あまりの勢いに、僕のかき氷を食べる手は止まってしまった。
「うん。ここの氷は本当に美味しいよ。連れてきてもらって良かった」立花は満足げな顔だ。
「そう言ってもらえると、美那郷をほめて頂いたみたいで嬉しいです。ところで、修一くん。他にはどこか、ご案内するの?」
「どうしたものかな。正直、悩んでいる」
「確かに都会の人を案内するところって言われると困るかな。美那郷にあるものっていったら、あとは川くらいしかないものね」
「へぇ。オレ、川って好きなんだよね。行ってみたいな」
「じゃあ、この店からちょっと行ったところにありますから、行ってみますか」
「良いね。じゃあ、行こう」
 川なんて見て、どうするんだろう。だが、立花がそう言うならば、こちらとして異論はない。氷を食べ終えて支払いを済ませると、僕たちは店を出て、川の方へ向かうことにした。詩織も日傘を差して、一緒についてくる。
 一番近い川は目と鼻の先だ。歩いていたら、不意に「しゅーいち!」と声がする。
 声がする方を向く。やっぱり滝川和樹だ。髪の色と似た、派手な黄色の花柄シャツ姿で走ってくる。
「修一、何してるんだよ」
 急に走ったからなのか、和樹は肩で息をしている。
「お客さんの案内だよ。こちら、立花慶太さん」僕は立花を紹介する。
「滝川和樹です。修一とは小学校一年の時に席が前後だった以来の仲なんですよ。よろしくッス」
 和樹はヤツなりにかしこまって挨拶した。
「よろしくね」
 立花が手を差し出すと、和樹はそれに応じて手を握り、ブンブンと上下に振った。和樹は僕に顔を向ける。
「で、どこに行くんだ」
「騒がしい奴だな。そこの川だよ」
「俺は修一みたいに猫かぶりじゃないんでね。それにしても、何で川?」
「お客さんの要望には応えない訳にはいかないだろ」
「へぇ、都会の人はそんなところが見たいんだな」
「そうみたいだ。暑いんだから、もう行くぞ」
「そうだな。じゃあ、行こう」
 和樹は僕たちについてくるつもりのようだ。
「わかったよ」
 僕はため息をつくと、再び川へ向かうことにした。歩きながら、立花がこちらに話しかけてくる。
「修一くん。和樹くんとは、仲良しなんだね」
「ただの腐れ縁ですよ」
「そう言いながら、修一くんって和樹くんのこと、好きよね」
 余計なことを言う詩織の言葉に、和樹が調子に乗る。
「そうそう。修一は素直じゃないよな」
「君たち、仲良しだねぇ」
 立花がしみじみとうなずいた。
「着きましたよ」
 僕たちは階段を使って、河原へ降りていった。ここは川幅が五メートル程度だ。美奈郷にある川の中では一番小さいので、人影は少ない。
 川沿いまで近付くと川魚やカエルなどの水棲生物が、土を巻き上げて逃げていく。だが、この辺りは流れが早いので、すぐに川底が見えるように戻った。
「おぉ、綺麗だね。入ってみたいな」
 立花は嬉しそうだ。だが、今から川遊びだなんて面倒くさい。僕は水を差すことに決めた。
「準備もしてないので、流石にこの時間からだと難しいと思いますよ」
「そうだよね」
 立花はうなだれる。よし、諦めてくれたようだ。だが、それを見た詩織がとりなす。
「じゃあ、来週はどうかしら。私もお友だちを呼ぶんで」
「俺も一緒に遊びたい」
 和樹もちゃっかり乗ってくる。
「みんな、ありがとう」
 立花が笑顔で答える姿を見て、僕は抵抗を諦めた。細かい話は後日に調整しよう。とりあえず、この場は解散だ。

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