見出し画像

無垢の罪 最終回

 窓の外では、風によって枯れ葉が踊っている。もうそろそろ年末か。裁判所内にあるこの部屋は飾り気がなく、物音ひとつしない。これから真鍋のご両親に会う。何を言われるのだろうか。坂井さんから、先方とは和解することで話がまとまった、と聞いている。とはいえ、本心で納得してくれているのだろうか。

 真鍋の秘密を話した四人については、早い段階で被告から外された。坂井さん曰く「秘密を聞いただけじゃ、権利侵害とはいえない」から、らしい。他の人へ話した証拠が見つからなかったっていうのも、大きかったようだ。

 ドアをノックする音がしたので、そちらを見ると坂井さんが部屋の中へ入ってきた。

「そろそろ時間だけど、大丈夫?」

「無茶苦茶、緊張しています」

「だろうね。まあ、昨日送ってもらった内容を話すんだったら、真鍋くんのご両親もわかってくれるって」

「はい」

「じゃあ、行こうか」

 俺は準備をして、坂井さんの元へ行った。

「あの」

「ん、何?」

「話を蒸し返して申し訳ないんですけど、賠償金。もっと払った方がいいんじゃないですか」

 坂井さんは苦笑する。

「本当に変わった子だね、君は。ほとんどの人はお金を払いたくなくて、弁護士を雇うんだけど」

「人がひとり、死んでいるんです。最初は五千万円って言われてたじゃないですか。それに比べて、今の額は減り過ぎじゃないですか」

「前にも言ったけど、最初の五千万が高過ぎるんだよ。それに慰謝料の相場から考えたら、今の額も十分多いから」

「でもーー」

 坂井さんは俺の肩をぽんぽんと叩く。

「人生、何があるかわからない。自分で払うって決めたんだろ。なら、自分が抱えられる範囲にした方がいい」

 俺が払えなくなれば、両親が肩代わりすることになる。今だって、お金以外のことで負担をかけているんだ。これ以上、迷惑はかけたくない。しかし、俺はそれでいいのだろうか。

 坂井さんは言葉を続ける。

「それにさ。今回の金額は『これ以上、訴訟はしない』って約束をするための最低限だから。君が余分に払いたいっていうなら、できない訳じゃない」

「わかりました」

「そういう新井くんの姿勢が相手にも伝わったから、和解がまとまったんだ。助かってるよ。まあ、一番大きいのは私の力だけど」

 坂井さんがニヤリと笑う。俺をリラックスさせてくれようとしているのだろう。この人がまとめてくれたんだ。その判断を信じよう。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。って、もうこんな時間だ。急ぐよ」

「はい」

 俺は早歩きで坂井さんの後に続いて、関係者が集まるらしい部屋へ入った。中には既に数人が席へ座っていた。真鍋のご両親と若い女性が二人。ひとりは真鍋に似ているので、お姉さんだろうか。ってことは、もう一人は向こうの弁護士に違いない。

 最後に裁判官が入ってきて、和解の手続きがはじまる。いろいろな確認をして、残るは謝罪だけになった。俺が席を立つと室内から音が消える。向かい側からの視線は暗く、冷たい。一瞬、呼吸が止まり、頭の中が真っ白になってしまった。思わず、坂井さんを見る。目が合い、うなずいてくれた。大丈夫。そう言ってもらえたような気がして、呼吸が元に戻る。ここで逃げちゃダメだ。俺は手元のメモをちらっと確認して、真鍋のご両親の目をまっすぐ見つめた。そして、口を開く。

「真鍋勇吾くんは、俺の大切な友だちでした。けど、俺はたったひとつの言葉で、よく知っているはずの彼の姿を正しく見られなくなってしまった」

 気が付いたら、口の中はカラッカラに乾いていた。落ち着かなくちゃ。俺が視線を動かした時、真鍋に似た女性と目が合った。まるであいつに見られているみたいだ。言わなくちゃ。俺は一生懸命つばを飲み込み、言葉を続ける。

「しかも、お前から逃げた。話をする以外、お互いを理解する方法はないのに。その上、お前の秘密を人前で勝手に言ってしまった」

 事件の後でよく知らない人たちから色々と言われて、レッテルを貼られる恐怖を実感できるようになった。しかも、真鍋の場合、変化したのは俺だ。

「お前を混乱させ、苦しめたよな。そして、悲劇へ追い込んだ。真鍋、ごめん」

 今、言っていることの十分の一でも真鍋に伝えられていたら、違う未来があったんじゃないだろうか。でも、いくら謝ったところで、あいつは戻ってこない。伝えるべき相手は、もういないのだ。

「俺は未熟で、想像力が不足してた。これからの人生、この罪を背負って生きていく」

 俺は深く頭を下げた。これで良かったのだろうか。しかし、確認したくても、顔は上げられない。沈黙が室内に広がる。ようやくそれを破ったのは、裁判官の閉廷の言葉だった。

 ひとり、またひとりと法廷を去っていく。誰もいなくなって、坂井さんが俺の肩を叩く。

「お疲れ様」

「はい」

 坂井さんが出口に向かって歩き出したので、俺もついていく。坂井さんは俺に尋ねる。

「どうしたんだい?」

「本当にあれで良かったんでしょうか」

「あれって?」

「謝罪のことです。なんか綺麗事のような気がして。それに真鍋のご両親も、特に反応がなかったじゃないですか」

 坂井さんは首をひねる。

「私は良かったと思ったけどね。向こうのご両親については、仕方がないんじゃない?」

「どうしてですか」

「お子さんをなくしているんだからね。そんなに簡単に気持ちの整理はできない。もう少し時間が必要だと思うよ」

 自分が謝罪したからって、すぐに許してもらえるというのは、確かに虫のいい話かもしれない。

「わかりました。これからの俺の行動で、気持ちを示していくしかない、ってことですよね」

「だね。和解したからって、起きたことは消せない。大切なのは、これからどうするかだ」

「はい」

「とはいえ、区切りなのも確かだ。ひとまず、ゆっくり休みなよ」

「ありがとうございます」

 俺が頭を下げると、坂井さんは手を振って車の中へ乗り込んでいった。エンジン音がして、車は動き出す。俺はその姿が見えなくなるまで、見送った。

 さて、帰ろう。俺が駅に続く道へ身体を向けると、後ろから女性の声がした。

「新井さん」

 振り向くと、さっき真鍋のご両親と一緒にいた女性だった。俺のところまで走ってくる。

「私、勇吾の姉なんですが。少しお時間頂いても、よろしいですか」

 やっぱりそうだったんだ。

「もちろんです。俺のせいで、真鍋くんがあんなことになってしまったんですから」

「それだったら、私も同罪です。勇吾の話は母から聞いていたのに。あの子が、ああなる前に直接会って、話を聞いてやれば良かったっていつも思うんです」

「そんな。ご自身を責めないでください。一番悪いのは俺です」

「ありがとう。でも、私はあなたにもそれが言いたい。全部が新井くんのせいじゃないと思うの。だから、自分ばかりを責めないで」

 ご家族から許しの言葉をもらったとしても、俺の罪は消えないような気がする。だったら、俺はどうしたらいいんだろう。

 お姉さんはカバンの中から、何かを取り出した。

「話がそれちゃった。あなたを引き留めたのは、これを渡したくて」

 差し出されたのはUSBメモリだった。

「何ですか、これは?」

「勇吾が最後の日に撮っていた写真が入ってる」

「そんなものが、あったんですね」

「撮影に使っていたスマホは壊れちゃったんだけど。バックアップのために、パソコンと共有設定にしていたみたい」

 アカウントにログインをしたままになっていたのだろうか。

「もしかしたら、新井くんが見たら何かわかることがあるかもしれないと思って。見たくなければ、このまま持って帰るけれど」

「いや。ください」

「受け取ってくれて、ありがとう。私は勇吾に何もしてあげられなかったから。せめて、ね」

 お姉さんと別れて、俺は家へ帰った。両親のねぎらいの言葉もそこそこに、自分の部屋へ引っ込んだ。

 俺はカバンにしまったUSBメモリを取り出す。パソコンを起動させて、コネクターへ接続するとフォルダが立ち上がった。

 一枚目は空港の写真だ。続いて、綺麗な風景の写真や、動植物が現れる。中にはどこかで見たようなものが、いくつか混じっていた。いつ見たんだっけ。俺は自分の記憶をたどる。

 そうだ。

 真鍋が俺に告白した日だ。あいつが持ってきた旅行プランの写真にあった場所。ってことは、もしかしてこれは俺がウソをついて、キャンセルをした旅の道順通りに並んでいるのだろうか。

 でも、何で? 真鍋は俺と二人で旅をする妄想に取りつかれていたのだろうか。いや。偏見に囚われたら、あいつを追い込んでしまった時と何も変わらない。親友の真鍋だったら、どういう意図を持って撮るだろうか。

 あいつは俺が気に入ったコンビニのスイーツを買って来てくれる奴だ。旅行のプランだって、詳細は忘れたが俺の好きそうなポイントを押さえていた気がする。

 いつだって、真鍋は俺のことを喜ばせようとしていた。だとしたら、これも俺をよろこばせるため? 旅行は行けなくなったから、せめて風景だけでも見せようと思った。ポジティブに解釈すれば、そんな見方もできそうだ。

 写真を次々に見ていくと、崖に止まった綺麗な海鳥の写真が現れた。その次は青い空だった。何故だかこれだけブレている。これで最後だ。

 ひとつの仮説が頭に浮かぶ。頬を一筋の水滴が伝ったかと思ったら、止めどなくあふれ出てきた。

 バカ野郎だな、真鍋は。何でお前を裏切った俺をよろこばせようとして、死んでんだよ。そんなことしなきゃ、ちゃんと謝れたかもしれないのに。親友は無理でも、友だちくらいには戻れたかもしれないのに。俺もバカだが、お前もバカだ。その罰がこれだとしたら、なんて酷いことだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?