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麻疹の痕 最終話

 赤い絨毯が敷かれた大理石の階段を登ると、カウンターが目に入った。スーツ姿の男性が立っている。詩織の名前を伝えたら、僕を大きな扉まで案内してくれた。男は「こちらになります」と言って、ドアを開ける。広々とした室内には、詩織が一人で席に座って待っていた。
「修一くん、わざわざ遠出してくれてありがとう」
「こんなところ、どうやって見つけたんだ?」
「伯母様がこの前、教えてくださったの。お料理も美味しくて、周りに気兼ねしなくていいから、丁度いいかなって思って」
 詩織の伯母は田舎が嫌いで、この辺りで一番大きな、この街を好んで使う。あの人が好きそうな店だ。
「こんなに豪勢なところじゃなくて良かったのに」
「せっかくのお祝いですもの。それに修一とは、これから当分会えないんだから、ゆっくりお話したかったの」
「そうだね」
 僕も進学してしまえば、こっちにはなかなか帰って来られないだろう。詩織とも生まれて初めて、長い間離れることになる。彼女も思うところがあるのかもしれない。
「ところで、お食事はもう済んだ?」
「ああ」
「じゃあ、お茶にしましょ。ここのケーキ、美味しいのよ」
 彼女からメニューを渡されたので、僕はこの辺りの名産フルーツを使ったタルトに紅茶を選ぶ。詩織はモンブランとミルクティだ。注文を受けた男性はメニューを持って下がった。
「結局、お受験はどうだったの?」
「最後に残っていた第一志望も、受かったよ」
「あら、良かった。じゃあ、そこにするのね?」
「もちろん」
「おめでとう。もう住むお家は、決めたの?」
「今度父さんと現地へ一緒に行って、契約をするつもりだ」
「そう。初めてのひとり暮らしでしょ。大丈夫?」
「多分。それに学校見学へ行った時に知り合った人が、たまたまそこの大学の先輩でね。何かあれば、相談してみようと思う」
「素敵なご縁ね。どこでお知り合いになったの?」
「慶介さんの紹介だ」
 ロッキーを紹介してくれたのが慶介だ。夜のお店で会ったことまでは、まさか言えないが。
 話をしていたら、先ほどの店員がトレイを持って戻って来た。僕たちの前にケーキと真っ白なポット、ティーカップを並べていく。僕たちがお礼をしたら、また部屋を出ていった。
 僕が頼んだタルトには、こぼれんばかりのフルーツが乗っている。フォークでひと差しして食べると、口の中に果汁が広がる。新鮮な素材を使っているのだろう。土台のカスタードクリームも甘さ控え目で、ちょうどいい。香りたつ紅茶で一息つく。
「美味しいね」
「そうでしょ。修一くんも気に入ってくれて良かった」
「詩織は大学、この辺りだろ。良いところを教えてもらったね」
「そうね。でも、美那郷から通うから、ここでゆっくりする時間があるかしら」
「それはちょっと大変じゃないか」
「本当よね。移動にけっこう時間がかかるのに。お父様、私を家から出したくないんだわ」
「女の子だから心配なんだよ」
「それにしたって、過保護な気がする。私だって、修一くんみたいに都会へ進学したかったのに」
「その話は初耳だね」
「そうね。修一くんが去年の夏、立花さんのところへ行ったじゃない。その時、いいなって思ったの」
「ご両親には話してみたの?」
「ええ、話したわ。でも、ダメだった。もちろん、今行く大学もいいところよ。でも、私が教わりたい先生は都会に集まってるのよね」詩織はため息をつく。
「そんなに行きたいなら、来年改めて受け直せば、いいんじゃないかな?」
「ダメよ。今のところだって、ストレートに卒業することが進学の条件だったんだから」
「じゃあ、編入するとか。それなら二年は時間があるだろ。その間に説得してみたら?」
「どうかしら。ハードルは高そうな気がするわ」
「試してみたら、いいんじゃないかな。自分自身の人生だろ。自分に正直になってみたら」
「簡単に言うのね。大体、修一くんこそ、自分に正直になってるのかしら」
「えっ?」
 まさか自分に矛先が向くとは考えていなかった僕は言葉に詰まる。
「この一年くらい、私に言っていないことがあるでしょう」
「何のことだい?」
「誤魔化さないで、修一くん。私はあなたと生まれてから、ずっと一緒なのよ」
 詩織は僕の瞳を真っ直ぐ見る。彼女にこんな強さがあっただなんて、思いもよらなかった。彼女は言葉を続ける。
「何を言っても、私はあなたの味方。そう思っているのは、私だけかしら」
 僕は喉元に剣を突きつけられたような気がした。彼女の真剣さから逃げてしまえば、自分は人間として何か失ってしまう気がする。僕は一歩踏み込むように言葉を紡ぎ出す。
「わかった。詩織の言う通りだ。他人に言うならば、自分も正直であるべきだね」
 脳は言葉を発することに全力で抵抗する。一度言ってしまえば、なかったことにはできない。ゴクリと思わず唾を飲み込む。怖い。これを言ってしまったら、どうなってしまうんだろう。だけど。だけど、きちんと考えるんだ。僕にとって詩織以上に信頼できる人間は、この世にいない。彼女は僕の気持ちを察して、これまでも動いてくれた。その相手が自分と向き合うことを求めている。だったらーー。
「僕は男が好きなんだ」
「えっ、どういうこと? それは恋愛対象としてってこと?」
「うん。立花慶介とは恋人同士だった」
 チャリン。金属音がする。詩織は、持っていたフォークを皿の上に落とした。彼女は慌てて拾う。
「そうなの。そうね。言われてみれば私、わかっていたのかもしれない。ただ現実を見ようとしていなかっただけ」
「すまない」
「そんな、謝らなくていいの。私が無理矢理、話をさせたんだから。だから、最近暗い顔をしていたのね。立花さんがご結婚したから」
「そうだね。まあ、それ以外にも理由はあるんだけど」
「えっ、それは何?」
「僕と慶介が恋人同士だってことを知っている人間から、父さんが強請られている」
 詩織は立ち上がって、テーブルを叩いた。
「ええっ、なんてこと。どうしてそんなことが、バレてしまったの?」
「僕と慶介が。あの、しているところを見られてしまったみたいで」
 彼女はため息をつくと、力なく椅子に座り込む。
「呆れた。修一くんがそんな軽率な人だとは思わなかったわ。男女でもあり得ないことよ、それは」
「人が来ないような山奥にある小屋だったから」
「そんなところ、どうやって見つけたのよ」
「昔、陸と山の中で探検していた時に、たまたま見つけたんだ。昔、若衆宿って奴として使われていたらしい」
「ふぅん。この辺りにも、そういうものがあったのね」
「詩織。若衆宿って何か、知ってるのか」
「ええ。成人する前の男性が集まって、大人になるために必要なことを教える場所。明治時代以降は廃れていったものだけど。その話、誰に聞いたの?」
「父さんを強請っていた男」
「えっ、誰? 顔は見たの?」
「見てない。声だけだ。でも、僕は知らない声だった」
「そう。でも、そんなことを知っているってことは、美那郷と関わりが深い人じゃないかしら」
「僕もそう思う。シゲルさんのことも、知っていたみたいだったから」
「なんで、そんな話になるの?」
「白蛇伝説があるだろう。昔は女性を捧げていたけれども、止めるようになって、男に印が出るようになったって言ってた」
「そんなこと、聞いたこともない」
「で、シゲルさんや僕にその印が出ているって。それが外から来た男と結び付けるらしい。だから、僕が慶介を好きになったのも、そのせいかもしれない」
「その人はシゲルさんにも印が出てるって言ってたのよね。そういうのって、同じ時代に二人の対象者は、出ないものだと思うわ。だから、呪いは関係ないんじゃないかな。私にとっては残念だけど」
「そうなんだ。っていうか、詩織詳しいな」
「私、そういうお話が好きだから。いずれにしても、そんなことを知っている人って美那郷でも限られると思う」
「だよな」
「だったら、調べたら、誰だかわかるかもしれないわね。まあ、いずれにしても今はこれ以上、強請るのも難しいんじゃないかしら」
「どうして?」
「立花さん、ご結婚されたじゃない。みんなそのウワサで盛り上がっているところに、修一くんの話を持ち出してもね」
「そうか」
 悪いと思っていたことも、見方を変えれば、そうとは言えない部分もあるようだ。
「それに仲村さんが立花さんにけっこうアピールしてたから。今は美那郷の女を捨てた、都会の男って立ち位置よ、立花さん」
「状況的には話を出しても、説得力がないってことか」
「ええ。仲村さんからは『立花さんが急に冷たくなった』って相談されてたけど、まさか相手が修一くんだったとはね」
 僕は苦笑するしかない。
「せっかくだから、立花さんにはもっと悪い男ってことになってもらいましょうか」
「でもーー」
「あら、修一くんって好きな相手には義理立てするタイプだったのね」
「申し訳ない」
「好きな相手ができると、意外な一面が出てくるものなのね。私も恋してみようかな」
「ああ。僕が相手になれない以上、僕が引き留める訳にもいかない」
「そんなに簡単に身を引くのも、失礼じゃないかしら。でも、婚約はしたままにしましょ」
「そんなの、悪いだろ」
「私が結婚するって言っても、そんなにすぐじゃないもの。それまでは、婚約は修一くんを守る盾になるから。それにーー」
 詩織はうつむいて、黙りこんだ。
「いや、ごめんなさい。何でもないの。大丈夫。覚えておきなさい。私、修一のことなんて捨てちゃうんだから。だから、心配しないで」
 そう言う彼女の瞳は、何故か灰色を帯びているような気がした。

「修一、ハンカチは持った?」
 靴を履いて、出掛ける準備をしている僕にいつもと同じように母さんは聞く。大学生になる息子に対して、もういい加減、確認することじゃないだろう。とはいえ、ここは良い返事をしておいた方が丸く収まる。
「大丈夫だよ」
「そう。まあ、修一なら大丈夫よね。学校の勉強以外にも、いろいろ学んできなさい」
「うん、いってきます」
「いってらっしゃい」
 玄関で手を振る母さんに応えながら、僕は家の門に向かった。門の前には、車が停まっている。僕が近づいたら、ドアが開く。僕は後部座席に荷物を入れて、助手席に座った。運転席の父さんが、僕に声を掛ける。
「準備は大丈夫か」
「はい」
「じゃあ、行こう」
 父さんが車のエンジンを掛けると、車は走り出す。
「このままターミナル駅まで、車で行こう。お前を送ったら、私はこっちに帰ってくるつもりだ」
「うん、わかった」
「まあ、都会だから、それほど困ることは、ないと思うが」
「何回か行かせてもらえたから、平気だよ。電車はまだよくわからないけど」
「まあ、その辺りも、そのうち慣れるさ」
「そういえば、今日は母さんが『駅までついて来る』って言わなかったね」
「ふむ。お前が何回か一人で家を出て、その度に成長して帰ってきたって言っていたからな。安心したんだろう」
「そっか。でも、今日も『ハンカチ忘れてないか』は聞かれたけど」
「ははは。親にとっては、いくつになっても子どもは、子どもだからな。それはずっと言われるさ。まあ、私もお前に外の世界を見せて良かったと思ってる」
「ふぅん。確かに美那郷を出て、いろいろな人と出会えて、良かったと思う」
「人との出会いをきっかけに、見えて来るものもあるからな。人とは自分を映す鏡だ」
「それに父さんや母さんのありがたさもわかった。自分の力だけで生きているような気になってたけど、知らないうちに僕も迷惑をかけてる。ごめんなさい」
 父さんはルームミラー越しに僕をチラッと見る。
「何も謝ることはないさ。迷惑が何もないと言えば、ウソにはなるがね」
「でもーー」
「申し訳ないと思うならば、その分、お前が幸せになった姿を私と母さんに見せておくれ。それでチャラだ」
「父さん、ありがとう」
 僕は窓の外に目を移す。道路脇では枯れた植物の合間から、青々とした若葉が顔を出していた。もうすぐ春だ。柔らかい日の光が眠りを誘う。
 ふと白いものが目に入った。ビニールヒモか何かだろうか。するりと草むらの中へ逃げていく。
 えっ? 
 僕はもう一度、目を凝らして、それを探す。だが、もう何も見つからなかった。

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