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麻疹の痕 第15話

 人に押し出されるように僕は電車を降りた。夜なのに駅はきらびやかだ。プラットホームの周りを取り囲むように、高層ビルが空に向かって伸びている。
「行こうか」
 慶介の言葉に従って特急電車の改札を出た。いくつもの電光掲示板がその行き先を示している。僕は慶介を見失わないように、その背中を追いかけた。駅の構内は、夜なのに人があふれている。美那郷では昼間でも、こんなにはいない。
 目の前からスマートフォンの画面を見たままの女性が歩いてきた。彼女はこちらを見ようともせず、僕を避けて歩いていく。
 エスカレーターでは、空いている側をサラリーマンらしき男性が駆け上がって行った。あの人は何をそんなに急いでいるのだろうか。僕は慶介に話し掛ける。
「人が多いね」
「そうかな。土曜日の夜だから、これでも少ない方だよ」
 これでも少ない方なのか。だとしたら、平日の朝はどうなっているんだろう。想像もつかない。それはそうと、僕は慶介の後について移動しているうちに、自分がどこにいるかわからなくなってしまった。今ここで慶介とはぐれてしまったら、必ず迷子になる自信がある。
 僕たちはどうやら地下鉄の改札に着いたようだ。慶介は券売機の操作をして支払いを済ませると、僕にICカード乗車券を手渡した。
「こっちにいる間は、これを使って。五千円入れておいたから、大丈夫だと思うけど、足りなかったらオレに言ってよ。追加でチャージするから」
「ありがとうございます。お金、払います」
「大丈夫、大丈夫。この分はオレが出す」
「でも」
「こういうの、嫌かい?」
「うん」
「オレも昔は、おごられるのが苦手だったからわかるよ。とはいえ、ここでいろいろ見てもらうのも、オレの案内役としての役目だからさ」
「そうは言っても」
「どうしても気になるなら、シュウが社会人になった時、年下の子にしてあげてよ」
 慶介は譲る気がないようだ。僕はしぶしぶカードを受け取る。
「わかった」
「じゃあ、行こうか」
 慶介の言葉に応えて、僕は改札へ進む。ホームへ続くエスカレーターを降りると、丁度電車のドアが閉まるのが見えた。
「あちゃあ、行っちゃったか。まあ、次のにしよう」
 慶介は焦る素振りもなく、ホームを歩いていった。電光掲示板を見たら、次の電車は五分後らしい。そっか。すぐ来るなら、そこまで焦る必要はないんだな。
「慶介、どこまで歩くの?」
「ん? もう少し先の車両に乗った方が、降りる時に便利だからさ」
 そんなことまで確認して、電車に乗っているんだ。慶介はホームドアに書かれた車両番号を確認して、立ち止まる。どうやら、ここで待つらしい。
「シュウ、明日の試験は何時から?」
「九時から」
「オッケー。初めての場所だよね。八時半には着けるようにするよ。ちなみに、何時に終わりそう?」
「午後五時には終わると思う」
「そっか。じゃあ、オレが迎えに行くから、その後にちょっと出掛けよう」
 僕はうなずく。
「よし、決まり」
 二人でお出掛けだなんて、まるでデートみたいだ。いや、デートなのか。慶介はどんなところに連れていってくれるつもりなんだろう。僕が考えごとをしているうちに、電車がホームに入って来た。
「シュウ、行くよ」
 慶介の言葉に我にかえって、僕は電車に乗った。
 地下鉄の駅の階段を上がると、大きな道路が目に入る。いくつかのチェーン店は営業しているものの、街を歩く人はまばらだ。車が走る音以外には、ほとんど音がしない。さっきとは大違いだ。でも、生活するならば、このくらいがいい。慶介は歩きながら、僕に話し掛けてきた。
「ここからオレの家まで、十分くらいだから」
「慶介はここに住んで、どのくらい?」
「うーん。社会人になってからだから、もう三年かな」
「気に入ってるんだ」
「便利だからね。家賃もそれなりに安くて、職場も近いから。実家を出る時は大変だったけど、ひとり暮らしをして良かったよ」
「へぇ。何かあったんですか」
「母親が無茶苦茶反対して。オレ、ひとりっ子だからさ。心配みたいだ」
「へぇ。他人事とは思えない」
 僕は母さんのことを思い浮かべる。
「いや、シュウのお母さんはまだ物わかりがいい方だと思う。お父さんも理解がある。海外の大学へ留学していたからかもしれないね」
「そんなもの?」
「ああ、ウチの両親は自分たちが『普通だ』って思うこと以外は、認めない人たちだから。本当のオレを知ったら、卒倒する」
 僕の父さんと母さんが、慶介との関係を知ったらどう反応するんだろう。想像がつかない。遵二が女の子を自分の部屋に連れ込んだ時は怒っていた。自分たちで責任を取れないうちに、そういうことをするのは良くない。そんな理由だった。
 じゃあ、責任を取れるならば、各々の自主性に任せるってことなんだろうか。だったら、恋人が男でも構わない? 父さんは僕に「自分の思う通りに生きて良い」と言う。とはいえ、普段の言動からは僕を「高野の跡取りにしたい」という願望を感じる。僕が慶介と一緒になるならば、美那郷にはいられない。それを知っても、父さんは変わらないのだろうか。
「まあ、オレが『普通』を演じている限りは良い人たちだよ。ひとり息子だから、期待もあるんだろう」
 慶介は僕をなだめるように頭を優しくポンポンと叩く。考えごとをしているうちに、難しそうな顔をしていたのかもしれない。それにしても、程度はわからないが慶介も親の期待を感じているようだ。僕たちはそういうところで似た者同士なのかもしれない。
 歩いていると慶介の手の甲が、僕の手の甲に触れた。最初は数秒間だったが、徐々にその時間は延びていく。そして、ついに手の甲が重なったままになった。
 僕は周りを見回す。遠くまで見通せる道だが、人の気配は全くない。明かりがついている家はまばらで、僕たちを見ているのは街灯くらいだ。このまま手をつなぎたい。でも、慶介はどう思うだろうか。ここは彼が生活する場所だ。美那郷のようにみんな知り合いで、見られたことは次の日にはみんな知っているということはないだろう。だが、慶介の知り合いに見られたら。大体、美那郷で彼に気を使わせておきながら、今僕が気を使わないなんて都合が良すぎるんじゃないか。
 慶介の手が離れる。
 そうだよな。人前で男同士が手をつなぐだなんて、おかしいことだ。他人には見られたくないだろう。残念だけど、街中で触れあえただけでも満足しなくちゃ。
 って、あれ? だったら、この手のひらを握っているのは、誰の手だろうか。もしかして、慶介? でも、何で? 本当に良いの? そのまま彼は指を絡めてきた。その動きは僕の手をいとおしむかのようだ。これっていわゆる「恋人つなぎ」ってヤツじゃないか。思わず僕は慶介の顔を見る。彼は僕と目が合うと、笑顔になった。
「いいの?」
「何が?」
「近所の人に見られちゃうよ」
「別にいいんじゃない? あっ、ごめん。シュウ、嫌だった?」
 慶介が慌てて離そうとする手を、僕はぎゅっと握る。
「嫌じゃない。むしろ、うれしい」
 そういえば、慶介と手をつないだのは、これが初めてかもしれない。彼とはもっと激しいことをしているのに、今さら手をつなぐことがうれしいだなんて。思わず笑みがこぼれる。
「ヤバいな」
 慶介がつぶやく。えっ、どういうこと? 僕の答えが何かおかしかったんだろうか。それとも、別のこと? 
「何がヤバいの? 僕、変なこと言った?」
「いやいや、違うって。よろこんでるシュウがかわい過ぎて、ヤバいってこと」
 もう。慶介には敵わないな。僕のことをよろこばせることばかり言う。僕は慶介の瞳を覗き込む。彼も僕をじっと見つめ返す。僕は慶介の唇に引き寄せられるようにキスをした。
「嬉しかったから、お礼」
 慶介は目を見開く。だが、ニヤリとして仕返しとばかりに僕へ同じことをやり返す。
「あそこがオレの家だから、続きは着いてからね」
 慶介が目の前に見えるマンションを指す。レンガ調の壁で、年代を感じるが清潔感はある。
「はぁい」
 僕は答える。相変わらず周りに人の気配はしない。まるでこの世界には僕たち二人しかいないようだ。僕たちは手をつないだまま、家路につく。

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