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麻疹の痕 第3話

 時計が午後七時になったことを告げる。僕はテキストから目を上げて、大きく伸びをした。昼間に立花の案内をしていた分、勉強時間は短くなってしまったが、集中はできた気がする。
 一階の引戸が開く音がした。かと思ったら、しばらくして階段を登ってくる音がする。
「修一くん」
 立花だ。開けっ放しにしていた部屋の入口から、こちらをのぞきこむ。
「なんですか」
「晩ごはんだって」
「わかりました。ちょっと着替えて行きます」
 僕は着替えを探して、着ていたTシャツを脱ごうとした。立花はこちらをジーっと眺めている。
「立花さん。自分の身体は見られたくないって言いながら、僕の裸は見るんですね」
「ああっ、ゴメンね」
 立花は慌てて襖を閉めた。
 僕が簡単に着替えて部屋を出ると、立花が壁を背にして、本に目を落としていた。
「じゃあ、行きましょうか」
 僕の声に反応して、立花は顔を上げる。
「ああ」
「立花さん、何を読んでたんですか」
「小説だよ」
「へぇ、どんな作品ですか」
「SFなんだけど、コミュニケーションのすれ違いを主題にしてるんだ。お互いの想いは同じなのに、価値観が違うから傷つけあってしまう。現代社会でも通じる話だよね」
「面白そうですね」
 お気楽そうに見えて、ちょっとは小難しそうな話も読むようだ。
 僕たちが茶の間に行くと、今日も父さんは立花を自分の隣に座らせる。
「立花くん、今日はどうだったかね」
「修一くんに龍明寺と、かき氷屋さんに案内してもらいました」
「あそこのかき氷は美味いだろう。この時期は外からお客さんが来たら、よく連れていくんだ」
「ええ。私もかき氷専門店はいくつか行ったことがありますが、都会で出店しても流行ると思いますよ」
「そうだろう」
 アルコールが入っているからだろうか。父さんはいつもよりテンションが高い。
「あとは、その近くにある川を見せて頂きました。綺麗な清流ですよね」
「この辺りの川は水質も良いからな」
「水がひんやりとしていて、涼むにはちょうど良いですよね。ラフティングとか川遊びにも向いていると思います。観光資源としてのポテンシャルはあるんじゃないでしょうか」
「ほほう」
 父さんはあごを指でつまんで、うなずく。
「来週、修一くんのお友だちに案内をしてもらうことになりました。もう少し、いろいろ見せていただこうと思います」
「流石、立花くん。仕事が早い。せっかくだったら、上流の方を見てもらった方が良いかもしれないな。修一。後で教えるから、そこにご案内してあげなさい」
「わかりました」
 立花は災害の応援派遣のために来ているのではないのだろうか。そう思いながらも、僕は返事をした。父さんはうなずくと、僕に聞く。
「修一。ちなみに、お友だちって誰だ?」
「和樹と詩織です。あと詩織が何人か連れて来ると聞いています」
「詩織ちゃんか。いい子に育ったな。早く家へ嫁に来てもらいたいものだ」
「母さんも詩織ちゃんが家に来てくれるのは歓迎だわ」母さんも同調する。
「修一くんと詩織ちゃんは、ご両親公認なんですね」
 立花、余計なことを言うな。
「ふむ。詩織ちゃんの父親とは『そうなれば良い』という話はしているんだが。最終的は二人の好きにすればいいとは思っている」
 父さんはニヤリとして、僕を見る。
「まあ、私の見たところ、詩織ちゃんは修一のことを好いていると思っている」
「父さん、僕たちはまだ高校生ですから」
 僕はすました顔でやり過ごす。
「修一、お前はもう少し積極的でもいいんじゃないか。とはいえ、遵二みたいに家へ彼女を連れ込まれては困るが」
「父さんっ」
 自分は関係ないと黙っていた遵二が、自分への不意打ちに大きな声をあげると、茶の間に大きな笑い声が上がった。

 僕は腕時計を確認する。待ち合わせの時間の五分前だ。詩織からもらったメッセージによれば、そろそろ着くハズなのだが。川遊びの準備で手間取っているとのことだったので、遅れているのかもしれない。立花にはここで待っていてもらい、スマートフォンが通信できる場所まで移動した方が良いかもしれない。
 そんなことを考えていると、向こうから白いワゴン車が走ってきた。それは僕たちの目の前で止まる。ドアが開き、中から出てきたのは詩織だ。
「お待たせ」
 今日の彼女は白をベースにしたワンピース姿だ。後ろから更に二人の若い女性が降りてくる。
 詩織が運転席に「ありがとう」と伝えると車は元の道を戻って行った。彼女はそれを見送って、こちらへ振り返る。
「立花さん。今日、お連れした二人を紹介するわね。こちらが仲村愛さん。家でお世話になってる病院の看護師さんなの」
 軽くウェーブのかかった髪を後ろで縛っているしっかりしたお姉さんタイプの女性が頭を下げた。
「仲村愛、二十二歳です。立花さん、今日はお会いできてうれしいです」
 仲村さんは立花の手を握りにいった。立花は空いている方の手で頭を掻く。
「はじめまして。『お会いできてうれしい』だなんて初めて言われました」
「立花さん、この辺りの結婚してない女の子の中では、有名なんですよ。詩織ちゃんから、たまたま今日の話を聞けて、本当にラッキーでした」
 仲村さんは立花に微笑みかける。
「そうなんですね」
 立花は彼女の押しに圧倒され気味といった様子だ。
「で、こちらが森裕美子さん。私の同級生です」
 森さんは陸上部らしく、肌が日に焼けている。ショートカットのいかにもスポーツ選手といった風貌で、詩織とは一見正反対なタイプだ。しかし、意外に気が合うらしい。学校でもよく詩織と一緒にいるのを見かける。
「よろしくお願いします」
 森さんは体育会系らしく、深くお辞儀をする。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。こちらこそよろしくね」
 立花は慌てて、頭を上げるように促す。
「あとは和樹だな」
 僕はメンバーを見渡して確認する。
「滝川、また遅刻なの? 全く。ルーズなんだから」
 森さんは呆れたような口調だ。
 さて。待つにしても女性陣を炎天下の中、立たせっぱなしという訳にはいかない。どこか影に入れるようなところはないものか。僕が木陰を探していると、詩織が声をあげた。
「あれ、滝川くんじゃないかしら」
 彼女が指す方を見ると、遠くから今日も走ってくる男の姿が近付いてくる。彼女の言う通り和樹だ。僕たちのところまでたどり着くと息も絶え絶えに頭を下げる。
「すっ、すまん」
 そんな和樹を見下ろして、森さんは腰に手を当てて言った。
「遅いよ、滝川」
「まあまあ、裕美ちゃん。和樹くんもがんばって走ってきてくれたんだから、いいじゃない。良かったら、はい」
 詩織は水筒からお茶を出して、和樹に差し出した。
「サンキュ。詩織ちゃんは優しいな。誰かさんと違って」
「何ですって」
 森さんの声のトーンが上がる。
「ケンカしない、ケンカしない。とりあえず、涼しいところに入ろうよ」
 立花はみんなを木陰の方へ誘導していく。大きな木の下に入ると、葉が揺れる音がする。運ばれてきた青々とした薫りが、熱を和らげてくれるかのようだ。
「で、ここからどこに行ったらいいのかな?」立花は僕にたずねた。
「ここから少し奥に入ったところです。あっちですね」
 僕は木が繁っていて、薄暗くなっている道を示す。
「じゃあ、修一くんに案内してもらおうかな」
「わかりました。みんな、大丈夫?」
 各々の顔を見回すとみんなうなずく。和樹の呼吸も静かになっている。どうやら大丈夫そうだ。
「じゃあ、行こう」
 目的地までの道のりは緩やかとはいえ、坂になっている。僕は詩織と仲村さんのペースを確認しながら、ゆっくり進む。木々のアーチを通り抜けて、開けた場所に出ると左手は川、右手は切り立った斜面になっていた。水辺ということもあり、ひんやりとした風が吹いて心地いい。その時、立花が声をあげた。
「あれ?」
「何かありましたか」僕は振り返る。
「斜面の上の方で、人が歩いているのが見えたんだけど」
 この辺りは町からかなり離れている。地形としても、あまり人が住むのに適しているとはいえない。人がいるだろうか。
「この辺りだったら、シゲ子さんじゃないかな」仲村さんが答える。
「シゲ子さん? 男の人でしたよ」立花は仲村さんに聞き返す。
「はい。この辺りに一人で住んでる四十代くらいの男の人。元々は町の方に住んでいたけど、お母さんが亡くなってからこの辺りに住んでいるって」
「そうなんですか。わざわざこんなところに引っ越してくるなんて、何か理由があるんですかね」
「シゲ子さん、男の人が好きなんです。だから、ウワサされたり、嫌がらせされたりしてたんで、町の中にいられなくなっちゃったんじゃないかな」
 和樹が口をはさむ。
「シゲ子さんじゃなくて、シゲルさんな。みんな、あの人のことをたいして知らない癖に、想像でつまんねぇこと言い過ぎ」
「和樹くんはその人のこと知ってるのかい」立花が尋ねる。
「はい。うちの美容院のお客さんなんで。普通の人ですよ。むしろ『自分が来るとうちの店に迷惑がかかる』って、わざわざ人がいない時間に来るくらい気を使ってくれて」
「どういうこと?」
「わざわざご忠告をしてくれる奴らがいるんですよ。母さんは『そんなの、気にしなくてもいい』って言ってるんですけど」
「そっか」立花はぽつりとつぶやく。
「さて、着きましたよ」
 僕は重くなった空気を断ち切るかのようにみんなに告げる。
 河原は森の中にある小道を通った先にあった。キャンプくらいならば、できそうな広さだ。この辺りは勾配がなだらかで、川の流れも緩やかになっている。水遊びにはピッタリだろう。木々が外の世界との壁のようになっているので、周りを気にする必要もあまりない。立花が声を漏らす。
「プライベートビーチみたいだね」
 なるほど。そう言われたら、そうかもしれない。
「修一くん。私たち、着替えたいんだけど。どこか場所があるかしら」
 詩織が僕に確認する。
「ああ。父さんの話だと少し上流に行くと、ちょっとしたスペースがあるって言ってた。川が曲がった先って言ってたから、あの辺かな」
 僕はその地点を指差す。
「わかったわ」
 女性陣は顔を見合わせて、そちらの方へ行く準備をはじめた。危険はないと思うが、ここは山の中だ。女性だけで行かせるのは良くない気もする。
「一緒に行くか」
「いいえ。そこまで遠くないから、大丈夫。それに女の子が着替える場所へ男性が足を踏み入れるべきじゃないでしょ」
「わかった。でも、何かあったら、ちゃんと僕たちのことを呼べよ」
「うん、ありがとう。じゃあ、行ってくるわね」
 詩織は仲村さんと森さんを連れて、川上の方へ歩いていった。彼女たちが見えなくなると、和樹が僕に聞く。
「で、俺たちはどうするんだ」
「別にこの辺りで、いいだろう」
「まあな。そもそも俺、もう水着だから、上脱ぐだけだけどね」
「小学生かよ」
「うるせぇな。いいだろ」
「二人共、仲いいね」
 立花は楽しそうだ。気が付いたら彼は既にハーフパンツ型の水着に着替えていた。和樹は着替えをしながら、立花に話し掛ける。
「立花さん、意外と筋肉あるんすね」
「一応、学生時代は体育会系だったから」
「へぇ、何やってたんですか」
「サーフィン」
「おお、立花さん真面目そうなのに。想像つかない」
「よく言われる」
「そういうギャップがあったら、モテるんじゃないっすか」
「あはははは」
「否定しないんすね。で、修一は準備しないの?」
「僕は川に入らないから」
「シャツくらいは脱ごうぜ。雰囲気、雰囲気」
「わかったよ」
 仕方なく僕はシャツを脱ぐ。立花がポツリとつぶやく。
「修一くん、透き通るくらい真っ白だね」
「子どもの頃からそうなんです。夏でも日に焼けなくて、女みたいですよね」
「体質なら仕方ないんじゃないかな。それにオレは綺麗だと思うよ」
 綺麗か。そんなことこれまで言われたことがない。兄弟なのに遵二は真っ黒だ。僕はあっちの方がいいのだが。
「お待たせしました」
 女性陣が帰ってきた。仲村さんは首で結ぶタイプのピンク色のビキニだ。何かの制服のようにも見える。森さんはスポーティーなスタイル。彼女の健康的な雰囲気に合っている。そして、詩織はフリルがついた白いビキニだ。清楚ではあるが、少し胸が強調され過ぎな気もする。
「立花さん、格好良すぎ。さっさと泳ぎましょう」
 仲村さんは立花の腕に手を回して身体を密着させると、川の方に連れていってしまった。
 和樹と森さんもそれについていく。今後の予定だとか、荷物の番をどうするのかを話したかったんだが。全く。僕はため息をつく。
「みんな楽しそうね」詩織が微笑む。
「もう少し待って欲しかったんだけど」
「そうね。修一くんはいかないの?」
「ああ、僕は荷物番をしてる。詩織は行ってきていいよ」
「修一くんがここにいるなら、私もここにいるわ」
「そうか。ところでその水着、どうしたんだ」
「今日のために裕美子ちゃんと一緒に選んだの。修一くんに見てもらいたくて。ダメ?」
「ダメじゃないけどさ。胸が強調され過ぎじゃないか。あんまり男がいるところで、そんな格好しない方が。僕の他にも立花さんと、和樹がいるだろう」
「和樹くん、ああ見えて紳士的よ。立花さんも、男性と女性を分け隔てない感じだから、大丈夫だと思って」
「うーん。確かにあの二人だったら、大丈夫か」
「で、どうかな?」
「えっ、そうだな。似合ってて、かわいいよ」
「良かった」詩織は嬉しそうに笑う。
「修一、何やってんだよ。早く川に来いよ」
 空気が読めない和樹だ。まあ、いい。僕はヤツの言葉に答える。
「誰も荷物の番をしないから、僕が見てるんだよ」
「マジか。俺、そんなこと考えなかった。じゃあ、交代な。俺が見ておくから、お前は詩織ちゃんと川に行って来いよ」
「いや、いい」
「そんなこと言うなよ。たまには俺の言うこと聞いとけって」
「和樹くん、ありがとう。修一くん、一緒に行ってくれたら、嬉しいわ」
「わかった。じゃあ、頼む」
 和樹は僕たちを見送るように手を振る。そこまでされたら行くしかないか。僕は詩織の手を取って、川の方へ歩き出した。

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