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麻疹の痕 第20話

 僕たちは地下鉄に乗って、日曜日へ訪れた駅まで向かう。駅を降りると、この前よりも更に多くの人が歩いていた。あたかも規則が決まっているかのように歩く人々の足並みは、それを知らない人間を弾き飛ばしそうな勢いだ。改札で戸惑っていたら、後ろにいる中年のサラリーマンが舌打ちをした。みんな、何をそんなに急いでいるんだろうか。いずれにしても、初心者は熟練者に従うのが一番だろう。僕はロッキーの後をついて行く。
 到着したのはメグミさんのお店の近くだった。お店は東南アジアらしい内装で、薬のような香りがする。バックグラウンドミュージックは、それらしい音楽だ。渡されたメニューには写真が載っていたが、どんな味なのか、さっぱりわからない。それをロッキーに伝えたら、手慣れたように注文をしてくれた。店内を見回すとお客さんは男女のカップルや、私服の男性のグループなどボチボチ入っている。それなりの繁盛店なのだろう。
 東南アジア系の店員さんが運んできた料理は馴染みのない味だったが、僕は気に入った。他愛もない話をしながら、食事を済ませてお茶を飲んでいたら、店内が混み始めてくる。時間を確認したロッキーに「行こうか」と言われたので、僕たちは会計をするために立ち上がった。
 レジに向かう途中、黄色い声で盛り上がって食事をしている男性のグループが目に入った。ん。どこかで見た顔がいる気がする。誰だろう。でも、よく考えたら、この街に知り合いはいない。そうだな、気のせいだろう。ロッキーもレジの前で待っている。僕は急いで彼のところまで行き、お金を払って店を出た。
 ロッキーがメグミさんのお店のドアを開ける。中ではメグミさんがお客さんと話をしていた。ドアの開く音に条件反射したかのように、出迎えの言葉を唱える。
「いらっしゃーい」
「メグミちゃん、お疲れ」ロッキーが応える。
「あら、今日は若い二人のカップルなのね」
「うらやましいでしょ」
「ふん、別にそんなことないわよ。で、何を飲むの?」
「いつもの二本」
「いつものって、アルコールでしょ。シュウイチくんはまだ未成年なんだから、別のにして」
「いいじゃん。そんなに固いこと言わなくても」
「ダメよ。昔ならまだしも、最近は厳しいんだから」
「僕、ウーロン茶がいいです」
 僕は二人の間に入る。ロッキーはきっと僕にいろいろ経験させてくれるつもりなんだろう。だが、ルールを破るのは良くない。
「わかってくれて助かるわ。大体ね、ロッキー。あんたの魂胆なんてわかってるんだから。正々堂々、勝負なさい」
「はーい」
 言っていることの意味は、いまいちよくわからないけど、ロッキーが納得してくれたのは良かった。メグミさんがテーブルにコースターを置いてくれたので、僕は先に来ていたお客さんの隣の方に座る。メグミさんがおしぼりを僕たちに渡して、飲み物の準備をはじめた。すると、隣に座っていたお客さんが立ち上がってメグミさんに声をかける。
「そろそろお会計してもらって、いいかな」
「えぇ? ミツアキくん、もう行っちゃうの?」
 メグミさんの言葉に僕は思わず隣を見る。後ろ姿だったのでわからなかったが、この前見た顔だ。何か話をしたい。でも、なんて声を掛けたらいいんだろう。考えているうちに、僕の隣に座っていたロッキーがミツアキを呼び止める。
「ミツアキさん、こんばんは」
「ああ、ロッキー」
「お久しぶりですね。ちょっとお話しましょうよ。この前も来たのに、すぐ帰っちゃったじゃないですか」
「知ってるだろ。俺、混んでるの、嫌いなの。大体、二人で来てるんだったら、俺と話をしてる場合じゃないだろ」
「冷たいこと言わないでください。三人共、共通の知り合いがいるんですから」
「共通の知り合い?」
「こいつ、シュウっていうんですけど。この一週間、慶介さんの家にお世話になってるんです」
「へぇ」
 さっきまで僕のことなど目もくれなかったミツアキは、僕のことをまじまじと見つめた。
「修一です」
「修一くんか。はじめまして。俺、ミツアキ」
 ミツアキは席に座り直して、僕に手を差し出した。握手をしようということか。僕がその手を取ると、笑顔になる。僕はそれが表面的なものなのか、試したくなった。
「日曜日、お見掛けしましたよ」
「そっか、失礼。俺、視力が悪くて。オフの時はコンタクトしてないから、この距離じゃないと顔がわかんないんだ」
「そうなんですね」
「うん、ゴメン。けど、今よく見させてもらったから、覚えた。今日はロッキーとお出掛けだったのかい?」
「はい。ロッキーが僕の進学したい大学の先輩だったので、学校案内してもらってたんです」
「ふぅん。じゃあ、修一くん、頭いいんだ。スゴいね。俺もちゃんと勉強しておけば良かったな」
「テストの点を取るのが上手いだけです。本当に頭がいいかは、わかりません」
「そんなことない。こうやって話をしていれば、修一くんって頭の回転がいいんだってわかるもん」
「そうですか?」
「そうだよ。俺が仕事で会う優秀な人たちと同じ雰囲気を持ってる」
「それがわかるミツアキさんも、優秀なんじゃないですか?」
「そんなことない。いろいろな人と会う環境にいるから、そういうのがわかるようになっただけ」
「ちなみに、どんなことされてるんですか」
「ん。一応、モデルをしてる」
「スゴいじゃないですか」
 モデルみたいだとは思っていたが、本当にモデルだったなんて。慶介はミツアキと別れたことを後悔してないんだろうか。そもそも、二人はどこで知り合ったんだろう。
「そんなことないって。俺くらいのなんて、星の数ほどいるんだから。慶介とはこの件でよくケンカした」
 ミツアキは手に持ったグラスに入った液体をその身体へ流し込む。グラスの氷がカランと音を立てた。
「で、愛想つかされちゃった。まあ、今から考えれば、あいつが正しかったところもあったなって最近は思う」
「後悔してます?」
 僕の口から思わず言葉がこぼれた。
「いや、やってみなくちゃわからなかったことだから。多分、慶介の言うことを聞いていたら、今ごろあいつのこと恨んでいたんじゃないかな。そんなのは嫌だ」
 ミツアキは淋しそうな、でもしっかりとした眼差しで笑みを浮かべる。彼はまだ慶介のことが好きなんだろうか。本心を知りたい。だが、それを聞く勇気が僕にはない。
「あっ、暗い話になっちゃった。ゴメンね。せっかく遊びに来たんだから、楽しい話しよ。そうだ、二人は何を食べてきたの?」
 ミツアキのフォローに、ロッキーが答える。
「エスニック料理です。あそこの角の」
「ああ、あそこ美味しいよね。俺、好き。修一くんはどうだった?」
「エスニックって初めてだったんですが、僕も好きです」
「だったら、オススメのお店があるよ。きっと気に入ると思う」
 そして、僕はいくつかのお店や、モデルのお仕事について教えてもらった。話をしてみたら、ミツアキは思ったよりも気さくで、天然だ。近寄りがたい第一印象で損をしているタイプなのかもしれない。実際には何を話しても、受け止めてくれそうな雰囲気がある。だから、いろいろと気にしなくて良いのも心地いい。でも、それはこの街だから、美那郷ではないから、というのもあるかもしれない。ここでは目の前にいる相手との間に隔てるものがなく、自分の存在に違和感を覚えなくて済む。
 話し込んでるうちに、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。そろそろ帰らなければ、慶介が先に家へ着いてしまうかもしれない。僕はロッキーに耳打ちする。
「僕、そろそろ帰らなくちゃ」
「わかった。じゃあ、お会計するね」
 ロッキーは指でバツを作って、メグミさんにアピールする。
「あら、お帰り? そうね。そういう時間だものね」
 メグミさんの計算に従って、僕たちは支払いをした。僕はミツアキにお礼を言う。
「今日はお話できて楽しかったです」
「俺も」
 ミツアキは僕の腕を掴み、続けて小さな声でささやく。
「慶介は『正しさ』に振り回されるところがある。きちんと思いを聞いて、一緒に考えてあげて。俺にはそれができなかったから」
 そう言い終えて、彼はさっと手を離した。

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