日本国としての意志を持ち、核を持つ

結果が残念だった昭和20年終結の対米戦争ですが、でも歴史にIFは無いとはいえどうしても考えてしまうのは
「もし真珠湾を攻撃せずに対米戦争をやらなかったらどうなってたか」
です。

これは本当に色々な可能性があるので結論は簡単に出ませんが、でも恐らくは日本国内の原油が枯渇し、アメリカの輸入制限を撤廃させるかわりにすべての屈辱的な条件を飲まざるを得ない、つまりは屈辱外交が始まったのだろう、と思います。

そしてその屈辱外交の先に待っているのは日本がアメリカの植民地になっていたであろうその後の未来です。

今でも日本はアメリカの属国ですが、でも植民地ではありません。
もし対米戦争を回避した結果として日本がアメリカの植民地になれば、それはもう地獄が待っていたことでしょう。

アメリカは日本からあらゆる富を収奪し、それこそ日本人の心を完全に折るまで徹底的にやる。もちろん皇室は瞬殺されたでしょうし日本の軍事組織はすべて解体され、公用語は英語になるはずです。

日本固有の文化はその多くが失われ、第2言語である日本語からは漢字が廃止され、もしかしたらひらがなカタカナも廃止され、すべてをアルファベットで書くようになっていたかもしれません。

それこそ敗戦後のGHQが行った政策と比較すればもうお話にならない苛烈で徹底的なものになるでしょう、GHQの占領政策がお優しく見えるほど、です。

領土的には台湾と朝鮮半島は中華民国の管理下となり、満州国と樺太はロシアの管理下、そして千島列島はアメリカのものとなっていたことでしょうね。

つまり、領土的には今とさほど変わらない状況かもしれませんが、一旦植民地化されてしまったらもうその後に日本が独立したとしても植民地化前の日本を継承するのが難しいくらいに改変されてしまい、恐らくは大統領制の「日本共和国」が誕生していたことでしょう。

何故そう思うのか、それは簡単です。

日本人は対米戦争時にそれこそ文字通りに命を懸けて戦い、結果は負けましたがアメリカ人の中に確かに日本人への恐怖心を植え付けることに成功しました。

アメリカ人からすると特攻攻撃などは完全に理解の範囲外なわけですし、ペリリュー島や硫黄島を始めとして戦場で見た日本兵の恐ろしさを身をもって経験してきたわけです。

そしてどこかの島で拾った無傷のゼロ戦を確保して分析し、真珠湾での日本軍の攻撃やその後の経験から、日本人は馬鹿ではない、恐ろしい知能と命を懸ける勇気を持つ優秀な民族だ、と思ったことでしょう。

命を懸けて戦ってきた日本人と、歴史のIFではありますが、戦いを避けて植民地に堕ちた日本人。この2つを比べればどちらが恐ろしく、どちらが取るに足らん奴らだ、と思うのかはもう明白です。

令和の御代において、日本は再び世界的な荒波に揉まれ始めています。

それこそ戦後80年に渡って軍事的には鎖国してきた日本ですが、もう軍事的に鎖国していていい状況では無くなってきました。

もし近い将来、どこかの国が日本にちょっかいをだしてきたとしましょうか。もし「核ミサイルを打ち込まれたくなければ降伏しろ」と言われたらどうするのか?

降伏しなければ核ミサイルを落とされて日本人滅亡。しかも、恐らくは瞬時に全滅するでしょう。だから降伏するのか。降伏すれば戦前でいうところの植民地化され、結局は日本滅亡。ただし滅亡までの時間的な余裕はあるでしょう。

もちろんこのような状況を回避するための外交努力や国際的な連携がありますが、でも私達は常に究極の2択を考えておく必要があります。
そして何故そのような状況を考えなければならないのか。アメリカ人ならこのような2択は考えず、「核ミサイルを打ち込まれたくなければ降伏しろ」と言われたらこのように言い返すことでしょう。「核ミサイルを打ち込むなら核ミサイルの10倍返しをする」。

そう、私達日本人はそろそろ戦前のたくましさを取り戻し、脅されたら脅し返せるだけの意志と能力を日本国として持つ必要がある、ということを確認し、それを政権に実行させるべき時になったのだろう、と思います。

つまり、日本国として核兵器を作り、運用するだけの意志と能力を示し、実行する。当然、核兵器の運搬手段としての原子力潜水艦をも作り、戦略核ミサイルの運用を行う。という主張をする立候補者を支持し、実現させる。

戦争は怖い、とか、戦争はいけないこと、などという倫理的な話や道徳的な議論は横に置き、戦争を引き起こさないために核兵器を持つ、という選択をするべき時になったと思います。少し遅いと思いますが始めないよりはマシなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?