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~AMI AC SHARKS~ 救われすぎた男Part1.

SHARKS

色々な方々に囲まれて、少しずつ馴染みのあるチームに成長することができています。
そんなSHARKSが発足するまでの話。SHARKSが何のために生まれたのか、その一部分を書きます。

わがままに

高校を卒業して実業団に進んだ僕は、ニューイヤー駅伝常連のチームで中堅選手として活動。
申し分ない環境の中でトレーニングを積みながらも生まれ育った阿見アスリートクラブの子供たちとの触れ合いの中で実業団での経験などを子供達に伝える日々も送ることができていました。

子供たちからは「康成君みたいに」「中距離かっこいい!」そんな言葉も増え、
阿見アスリートからも僕以上の才能、実績を残す選手たちが続々と出てきていました。
そんな中、僕の中には気になっている現状が・・

「中距離をやっていては、大人になっても飯が食えない」

中距離選手になりたい子供たちが中距離選手になる環境が十分に用意されていなかったんです。

僕は阿見ACの子供たちに憧れられることを夢見て走ってきましたが、
この頃から「憧れてもらう人としての責任」を少し考え始めていました。

当時在籍していたチームはありがたいことに中距離にもとても理解があり、僕自身の活躍を応援してくれるチームだったので本当にやりやすく、成長することができました。が、それは「僕にだけ与えられたラッキーなんじゃないか?」
他のチームにとっての中距離選手ってどんな立場なんだろう?

仲間と情報交換をする日々、中距離を盛り上げたいという思いは変わらなかったですが、距離を伸ばせざるをえないという状況だったと思います。

それがその頃に抱えていた不安でした。
同時に日本の中距離を盛り上げたいという想いが自分自身の焦りにつながり、時を同じくして、競技者としての実績も地に落ちました。

苦しんでいた僕はその現状を打破すべく、まずは
「中距離選手でも大きなことができるんだ」

そんなことをぶつけるために小森コーポレーションの本川監督に相談したのを覚えています。
世界に飛び出してみたい。やってみたら何か現状打破できるんじゃないか?

監督は最初は困った顔をしていましたが、わがままを貫く23歳の僕に大きなチャレンジをさせてくれました。

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最初の一歩

今思い返すと本当に会社には迷惑をかけました。
でもこれが人生の大きな転機、高校を卒業し、小森に進んでよかったと思えています。

監督の男気に背中を押された僕
ある方の手助けもあり、昔から憧れていた、ロンドンオリンピック1500m銀メダリストのレオマンザーノ氏、そのコーチであるライアンポンソンビー氏と連絡を取ることに成功。

とにかく頑張りたい。自分を超えたい。仲間に入れてほしい。
そんな胸がいっぱいだった想いを伝えました。
レオ、ライアンは顔も知らないし英語も話せない変な青年の話を真剣に受け止め、
2週間後に行われるメキシコでの冬季練習合宿に誘ってくれました。

僕の答えはもちろん「YES」
すぐに航空券と、スターウォーズの和英辞書を用意しました。

そしてビビリならも成田空港へ、こんなに迷惑をかけた小森のチームスタッフが送迎してくれました。

ここまで運命的な出会いと助けを受けてなかったら、今の自分はありません。
この一歩がSHARKSが始まる最初の大きな一歩でした。

part2へ続く...

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