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テストしろ!ばっさり「合否」を突きつける教育の考察
大学の授業はなぜつまらないか?
そして、なぜ、何も身につかないで卒業生を送り出すのか?
それは、ものすごく簡単なことだ。
テストをちゃんとやっていないからだ。
テストで、単位を与えるか否かを一義的に決めていないことが問題なのだ。
なんとなく出席点や、コピペもできちゃうレポート提出をやっていては、身についたかどうかに関係なく卒業できてしまう。
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なぜテストがなされないのか?
結局それは、そこまでガチで教育する意志がない、ということに尽きる。
もちろんコストがかかるし、低い点数をつけられた学生は落ち込む。
上に引き上げるには、深く長いコミュニケーションが必要になる。
学生数の多い大規模な学校ではこれにコミットするのは難しい。
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テストをちゃんとやるだけで、世の中にあるあらゆる授業やレッスン、講座といわれるようなものが、一気に価値を増大させるだろう。
人間は誰でも「できる」ようになる喜びを感じる。
人間を甘くみないほうがいい。
ある基準を明確に設けて、それで人を裁くみたいなことに日本人はアレルギーがあるのかもしれない。
また、明確な基準で測れることなんて、真の実力ではないのでは?など甘えた考えがある。それも一理ある。
でも、ある専門性を身に着けているなら、答えられる知識や、実演できる技術は必ず存在すると思う。
テニスのプロであれば、200キロのサーブは打とうと思えば打てる。
英語や中国語が話せるなら、翻訳や通訳は一定レベルでできる。
当たり前の現実に目を向けよう。
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ただ、2つ問題がある。
1つは、どこで何をテストするかの見極めだ。
例えば、外国語の習得をするのに、基礎から何もせずに数年後に通訳をやらせてみるなどでテストするのが一番理想的だ。効率がいいだけでなく、身につけるまで下手な介入を避けることができるから。
しかし一方で、介入(中間試験)がないと、まったく良からぬ方向に進んでしまうかもしれない。だからといって、あまりにも細かくやっていてはそれはそれでよくない。
2点目はモチベーションの問題。
まだ学習を始めたばかりの人にとって、あまりにも厳しいフィードバックはやる気を喪失させるのではないか。
それはあるだろう。
しかし、テストの趣旨をしっかりと伝えれば、問題ない。
本当にその分野に興味のある人であれば、テストの評価軸が周知されており、その上で、率直な評価を受けられるのであれば、これ以上ありがたい学びはないのではないか?
本当にやる気があるなら、テストの基準が納得いかなければ無視するだろう。
あまり、学生を子供扱いせず、本当の実力者ならできるテストをしてみて、だめならだめと率直に伝えることが、本当のエンタメ的な学びだと思う。
テストがしょぼければ、意欲ある学生がクリティカルに反論するだろう。
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以上。何かしらの教育をやるならテストは必要。でも、その意義と問題点を十分に把握して実施する必要がある。
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