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人間社会でGDPの次のKPIは【生まれの偶然性の活用度】

人間社会の発展のために、GDPに取って代わる指標を求める議論は長年続いている。

あまり、決定的なものはない。

「幸福」「ウェルビーイング」などが若干注目されたが、何かが違う?

この問題の本質はなにか?

ある1つの基準をおいてしまうと、そのゲームでの上位者を狙う競争となってしまう。

KPIがあると、それに照らし合わせ他者と比較し、人々は疲弊する。金持ち競争や、イイね、フォロワー数争いが典型的だ。

ウェルビーイングが善とされれば、幸福主張ゲームという地獄のような状態になってしまうかもしれない。

これに対する社会としての対処は2つ。

1つは、ゲームを分散させること。マネーゲームという世界を支配するゲームの序列を下げるのだ。他にももっとみんなが熱中するゲームを沢山打ち立てる。これは現行のグローバル資本主義社会では、難しい。

もう一つは、基準を各個人が自分の主観の中に持つのだ。

それはどのようにできるか?

結論からいうと、「生まれの偶然性の活用度」を新たな人間社会のKPIにすべきだ。

人はみな、各自異なる能力や人脈を持っているが、それらは往々にして「生まれ」による。

自分はこういう特徴があるから、これを社会に還元しよう、ということで、それが実現できた度合いが、善悪となる。

資本主義では無価値に思えるものでも、自分の特殊な境遇を何かしら社会にフィードバックできれば価値化する。それはマネーゲームで1億円稼ぐより尊いこと。

そういうKPIなら、無知のベールで覆った上でも善なら社会となるのではないか。

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