簡単に定義されたくないのは人間の性

人に定義されることを僕はひどく嫌いだった。この傾向に自覚的になったのはここ数年だが、ずっとこういう傾向があった。定義されるとは、要するに「理解可能」度が高いということだ。

人はみな簡単に理解されたくないというのが根本あるのではないか?

こういうと逆の意見も聞こえてくるかもしれない。こういう人間だ、と割り切って理解されたいと。

そもそもの深層心理は何なんだろう。

本当は、「◯◯な人」というふうに理解されたいけどそれが叶わない願いだから、未規定でいたいのだろうか。

誰かが、大人になるとは未規定から脱することだと言っていた。いつまでも、これでもないあれでもないという態度でいるのは子供だ、と。社会の中でしっかりと位置を定められて初めて大人になる、と。

これは仕事のことなのか、性格やキャラクターのことなのかわからないが、いずれにせよ、未規定で掴みどころがない人間というのも価値はあると思う。いろんな人がいていいと思う。だから僕は簡単に人を定義しないし、そういうことをする人が好きではない。

ただ、明らかにいい意味の定義ならウェルカムだ(笑)やっぱりそういうことなんだろうな。

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