見出し画像

国が人に投資する場合、何をすればいいのか

国を強くするというのは、国を強くする源泉はなにか?

国民主権の社会において、その最終的な目標は、その国民一人ひとりの生をよりよくするということだ。

これが起点であることを忘れてはいけない。詳細は割愛するが、これが起点でないと、社会全体で共通了解を築くことができない。

(個人の幸福や自由、という風に理解してもよいが、少し手垢のついた概念になってしまうので、「生をよくする」と表現している)

個人の生がよくなるために必要な2能力

では、どうやったら、国民一人ひとりの生はよくなるか?

それは、前にnoteで書いたことがあるが、次の2つの能力だ。

1.人に共感できる能力

まず、幸せや自由を感じるためには、共感能力が必要だ。人に自己価値を承認してもらったり、自分の自由を尊重してもらうためには、そういう対人能力がなければならない。

金があるからと強がって孤立しても、長期的にみれば、不安で幸せどころではない。

2.社会で自立して生存できる能力

さらにもう一つ必要なのが、自立して生存できることだ。つまり、ベーシックインカムや、親にお金をもらったりしてなにかに頼って生存することは、多くの人にとって可能だろうが、それでは不安で幸福どころではないのだ(これも長期的な話)。

仮に社会不適合者でも、特殊能力が社会に認められていればこれはクリアできることになる。しかし、その場合、共感能力がなく長期的にみれば困ることになるかもしれない。

表面的なスキルより、本質的な能力を

よく、経済成長には人への投資が重要だとか、教育の重要性が叫ばれているが、それは表面的な議論だと思う。

プログラミングとか英語などの表面的なスキルにいくら投資しても本質ではない。

つまり、国民一人ひとりの生をよくするには、国民一人ひとりに、この2つの能力を持ってもらわないといけない。これは、簡単に予備校の授業であったり、手取り足取り家庭教師サービスでインストールできるようなものではない。

国が人に投資する場合、何をすればいいか

では、国を強くするために人へ投資をする、教育へ投資をするというときに、国を何をすればいいのか?

大きく次の2つだと思う。

(1)失敗をたくさん経験させる

何かをやろうという意欲がわくには、自分に合うことでかつ社会から求められるものに取り組む必要がある。

しかし、そんなものは簡単にみつからない。いろいろ試して、そういうものを見つけることになる。

人は失敗しないと学ばない。いくら本を読んだり、親しい人からアドバイスされても、本当の意味ではわからない。

私自身もいろいろなことに手を出し、即効挫折し、時間が経ってまた試してみて、長い時間の中でこういうことが積み重なり、ようやく、比較的続けることができそうな領域が見つかってきた。それでもまだ確信といえるかはわからない。

人々に失敗をたくさん経験させるには次の2つが重要だと思う。

まずは、失敗に寛容なマインドだ。怒ったり、笑ったりしないというコミュニケーション的なこと。

そしてもう一つは、セーフティネットだ。つまり、失敗して生存できなくなったらみんな挑戦しなくなる。ベーシックインカムが望ましい。

強制的に社会と接点をもたせる

次に、一定の共感力を持つためには、社会との接点が必要になる。

今の時代、引きこもろうと思えば、いくらでも孤立できる。

買い物や仕事上だけの付き合いなどのコミュニケーションは、人とのコミュニケーションに入らない場合が多い。

来歴をもった一人の人間として見られるようなコミュニケーションをする機会を、定期的に与える必要がある。

**

以上、国民一人ひとりの生を起点に社会を考えるなら、国は国民に対して、共感能力と自立生存能力を高めてもらう必要がある。そのためには、失敗をたくさん経験させ、一人の来歴をもった個人としてのコミュニケーションを定期的にとれるような環境整備をするのが、国力のための人への「投資」になるのではないか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?