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「田内学×宮台真司:人を幸せにする経済とは」を見て思った2点

「田内学×宮台真司:人を幸せにする経済とは」を見て思ったことを2点メモしておこう。

経済も重要

本動画の最後は、「お金を稼ぐことも重要だ」ということで締めくくられている。

全体の趣旨としては、共同体の軸となるわれわれ感をどう作っていけるかというような話であったが、お金を稼ぐということもそのために必要なことであるということが言われた。

私なりに解釈してみたい。

つまり、今の時代はグローバル資本主義社会なのである。生きるためには、金を稼いで商品やサービスを購入する必要がある。われわれ感を作るという経済の外側の人間関係を築くことが、生きる上では最も重要であるが、その外側で繋がるためにも、表向きの内側の世界もやはり重要になる、ということ。

家族などある愛すべき人を、グローバル資本主義社会で守ろうとしたら、愛や意欲だけで守ることはできない。何かしら商品やサービスを買い、衣食住を長期的に確保し、自分たちや子どもたちが生き抜ける教育もしていかなくてならない。

われわれはグローバル資本主義のルールから抜け出すのは難しいことを改めて認識した。

生まれの問題への処方箋のなさ

本動画で一番気になったのは宮台さんの少し不安そうな物言いだ。

なんというか、次のような主張に対して、きっぱりと否定できないようなものどかしさを感じた。

・貧困者など人生がうまく言っていない人は、麻薬やメタバースなどを使ったパラダイスを体験させたほうがいい

・人間が6億人くらいになった方がサステイナブルだ

宮台さんは、表面的にはこれらを否定する。

でも、あまり強く、明らかな否定ではないように見えた。

なぜか?

その理由を私は考えてみたが、簡単に言ってしまえば、こうした考えを否定できるのは、現代社会の成功者だけなのではないか?

現代の成功者とは、「生まれ」という偶有性を受け入れ、その中で試行錯誤し、人との繋がりをという(宮台さんのいう)享楽を手に入れた人間だ。こういう人しか、上記のような世界観への否定マインドを持たないのではないか?

そして、宮台さんも、そこに不安があるのではないか?宮台さん自身も今では成功者だが、それは自分の努力というよりは「生まれ」によるところも大きいと考えているのではないか。親が大企業の役員だったり、良いか悪いかわからないが転校生活で、様々な経験をし、小室先生や廣松先生などに感染することもできた。それは自身の努力と言える部分も大きいだろうが、やはり生まれなどの偶然性もでかい。

他の人が同じことができる保証はない。

もし、そういう成功に繋がる経験をできなければ、悲惨な人生になっていたかもしれない。それは間違いないだろう。もちろん、もっと恵まれていれば、もっと成功していたと考えることもできる。

何が言いたいかというと、共同体を維持しようとか、享楽が最高価値とか、子供のための未来をとか主張する人は、享楽を知っている人間に限られてしまうのだ。

享楽を知らない人にそれをいっても伝わらないし、享楽を知っている人は多くない。

宮台さんは表向きは、そういう享楽を知る成功者を目指せ!というが、実際、それが伝わる人々の少なさも自覚しているのではないか。そして、享楽を享受できるかどうかは生まれによるところが大きいのではないか?

つまり、社会的な病を体現するような人間がいたとしても、こういう生まれだったら、そうなってもしょうがない、いくら成功者が熱く、真摯に向き合い、励ましたりサポートしても、それで享楽を享受できる人間になるかはわからない。

私は宮台さんがいう程度に享楽を知っているかわからないが、やはり、人の結びつきのある社会が理想だと思っているので、そのためにできることをやっていきたい。

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