目的語を取れないが、取れることの本質は何か?

中国語でも、英語でもいいが、
この語はそういう使い方をしない、という暗黙知がある

例えば、以下の文。

✗最近我才恍然大悟人生的无常
(最近、私はやっと人生の無常を悟った)

「恍然大悟」は動詞性の成語だが、「人生的无常」という目的語を取ることはできない。

しかし、次のように介詞フレーズとして前に出せば、意味としては目的語を取ることができる。

◯最近我才对人生的无常恍然大悟。

後ろに直接目的語を取れないけど、介詞フレーズとしてなら目的語を取れるというのはどういう意味なのだろうか?

その言葉が、そもそも目的語を取らないで成立したという経緯があるのか?

ただ、場合によって、さらに情報を付加するために、別の方法が使われはじめたということなのか。

背景はわからないが、第二言語習得で難しいのはこのような母語と異なる語の用法である。

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