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生まれの偶然性を起点に社会のあり方を模索中

人間社会の現状認識

人間社会は、無数のゲームが同時に繰り広げられており、その無数のゲームの中で、最強の二大ゲームが、「権力ゲーム」「財産ゲーム」である。この2つが無数のゲームの中で断トツに強く、トップ2の序列。

その他の、昆虫に詳しいゲームとか、けん玉が上手とかいう小さなゲームもあり、それはそれなりに、そのゲーム参加者から尊敬は得られるものの、二大ゲームからすれば、小さくしょうもないものにも見られてしまいがちだ。これは、ジャーナリストの故・立花隆さんの世界観である。

これは人間社会の本質であろう。私もこの人間社会をそのように捉えている。

人生を勝ち負けで判断するような浅い考えは一切ないが、一人の実存的な生において、ある程度の承認を得るため、上述の意味でどれかのゲームで勝つ必要はあるだろう。無論、序列の高いゲームで勝つほうがよいが、それは競争が激しい。

生まれの偶然性

さて、この人間社会の現状認識を確認した上で、では何が問題か?

私は、最も大きな課題は、生まれの偶然性だと思う。

人は生まれた時点で、遺伝子的な、生物的な特徴を持ち、社会環境も何かしらの与えられたものがある。生まれた地点から、物心がつくくらいまでは、自分の意思がほぼ無効な、所与であり、降ってくる偶然である。誰でも思ったことがある「なぜ私はわたしなのだろう」問題である。

それがなぜ課題なのかといえば、人間社会で行われる無数のゲームの間に序列があるからだ。財産ゲームと権力ゲーム、この2つのゲームには、勝ちやすい要素がある。

財産ゲームであれば、もともと持っている金があれば勝ちやすいのは説明不要だろうし、権力ゲームも、もとから人脈やコネがあれば最強。そういうわかりやすいもの以外にも、金を稼ぐ方法や、人と関係性を作るコツなどを、人生の早い段階で教わったり、或いは、自ら学ぶ「機会」を得ることも、ゲームで勝つための重要な要素だ。

身も蓋もない話、こうした特定のゲームにおいて、「生まれ」で有利不利がある程度決まる。

これが問題だ。

どう生きるべきか?

では、人間社会において一人の人間はどう生きるべきか?

自由の相互承認が実現された社会のために

人間社会に生まれた限り、人生とは、自由の相互承認が実現された社会のために、自分の生まれをフィードバックする営みになるのではないか、と考えている。

人間社会が目指すべき理念的な社会は、自由の相互承認が実現された社会である。これは現象学という方法により考え抜かれており、間違いない。どんな人間も納得せざるをえない考え方だ。詳細は下記。

良い生まれ、悪い生まれでも、自分の生まれをフィードバックする

良い生まれだと自負がある人は、その恵まれたリソースをフル活用して、社会貢献すうればいい。

親の七光りとか、恵まれたから当たり前だと言われ、失敗すれば、あんなに恵まれているのに最低だ、などともいわれる。恵まれていることも一長一短なのだ。社会貢献なんてしないで自分の快楽のために生まれ資産を使う、というのも良いが、嘘偽りない実存の充足は、社会貢献なしには得られない。

つまり、生まれから想像できる以上に活躍するしかない。

生まれが悪いという認識の人は、それを跳ね除けて強く生きくのが理想だが、それが難しいのも事実。恵まれないことが起因で問題がおきれば、それは必ず同じような境遇の人がいるから、社会問題として解決すべきだ。

また、社会についていけない、排除されてしまうような人が出ないように、社会保障を充実させるべきだ。

生まれがどうであれば、各自は、先の自由の相互承認の理念に向かって、自分の生まれをフルに社会にフィードバックし、還元すればいい。

私の問題意識

なぜこんなことを考えるのかというと、以下の問題意識がある。

悲惨な境遇の人々に幸せになってほしい

安倍首相を殺害した山上のように、恵まれない境遇が避けられなかった場合、他者に迷惑をかけることを阻止したいし、さらに主観的にそうとうな精神的にもがき苦しんだだろうから、そういう人を減らしたい。
山上ほどでなくても、やはり生まれなど偶然的で所与的なことに起因する不幸は事実存在しているだろう。

より快適に生きれるように

私自身は、自分の認識では比較的恵まれた境遇にあり、楽しく生きれているが、社会がここまで発展しているのだから、もっと快適に生きれてもよい社会を作るべきではないかと考えている。

簡潔に言えば、月5〜7万くらいのベーシックインカムがあるといい。人はやはり挑戦することで輝くが、生物的な生存が保障されていないとチャレンジできない。実際、日本では既に生活保護で保障はされているのだが、多少でも人の目を気にしてしまう人は利用しずらいだろう。

あるべき社会の原則:荒野を生きていることを忘れない

最後に、生まれという偶有性に対処するためにもベーシックインカムがあるべきだ。
しかし、そこで忘れていけないのは、われわれは不確実性の高い自然環境という荒野を人間社会を作って生きている、ということだ。

つまり、うかうかしていると死んでしまう、ということを忘れてはいけない。また、誰も助けてくれなくなる、ということも忘れてはならない。厳しい現実だが、障害があるなどで、国に助けられているという場合、それは社会が発展した成果であり、社会が崩れれば野に放たれ野垂れ死んでしまう。

まず、原理として、「怠けても尊敬を得られる」という空気感は絶対に出してはいけない。そのうえで、ベーシックインカムがあるべき。

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