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科学的な教育に必要な根本原理

苫野 一徳さんの『学問としての教育学 』は、教育従事者は必読だ。

著者は以前にも「どのような教育がよい教育か」という原理的なテーマで本を何冊か出しているが、今回は、そのより実践に近い内容になっている。

そもそも、教育の目的は、社会の主役である個人個人がよい状態になることだ。

ではその「よい状態」とは何か?

結論、現象学的な方法で考えて、誰もが納得できる答えは、「人はみな生きたいように生きたい」ということになる。そして、それを実現するには、各自が各自の自由を承認にしなくてはならない。

一番深いところは、こういう原理になる。

では、そのような社会を作るにはどういう教育や制度が必要か?

こういう風にして、はじめて意義ある議論ができる。

なぜなら、グローバル経営力とか、自分で考える力とか、主体的な行動力など、いわゆる優等生的な教育目標は、それが何のためなのか語っていないから、議論に収拾がつかなくなる。

最終的に、●●の状態を目指す!というのがあれば、であれば、今の教育の問題はこうだ、ああだと議論ができる。

今の世の中だと、戦後からゆるくGDP至上主義のような価値観があったが、これは本当の個人の豊かさとは直結しないし、同意していない国民が多くいる状態なので、社会の目標として適切ではない。

いずれにせよ、「科学的」な教育をするのであれば、最後の底板として、目指すべきあり方を、具体的に決めておき、かつ、誰もが納得できる内容でないと、その上でいくらPDCAを回しても、進むべき方位がわからず大海をさまようようなものだ。


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