自由の相互承認の正論は退屈か?
このnoteで何回か話題にしている、現象学を土台にした自由の相互承認の理念。
たしかに、徹底して理詰めで考えれれば、この考え方が社会の原理になる。
そして、だからこそ、誰もが納得しうる可能性が秘められている。(なぜなら、理詰めで問題のある思想は、多くの人に受け入れられないからだだ)
でも、当たり前のことだが、人はロジックでは動かない。
合理的なことはつまらない。
自由な思想を重んじた孫文も、革命を遂行するために野蛮な言動もとったらしい。(今後、これについて調べてみたい)
めっちゃ正論言われても、それだけじゃ厳しい。。
自由の相互承認を社会に実装するには、どう人を動かせばいいのか?
あるいは、そもそもそんなこと人々は望んでいないのだろうか?
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