詩歌論:詩と歌詞はどう違うか

 こんばんは。Sagishiです。

 今回も文学に関する思っていることをつらつら書いていこうと思います。


 詩と歌詞ってどう違うのか。よくある疑問かと思います。

 まぁわたしからすると全然ちがいますね。歌詞にはメロディや譜割りがあるというのもありますが、最大のちがいは詩には詩のロジックがあることです。

 本当に色々な書き方があるので、まじめなひとは「詩は自由です」と答えると思いますが、わたしは自由ではないと思っています。詩には歴史的な積み重ねがあり、それなしで読解することは基本ありません。

 まず過去から現代まで出ている有名な詩集を順を追って読んでいけば、「流派」のようなものがあることにどこかで気づくはずです。例えば、朔太郎や中也、宮沢賢治などの「現代詩」以前の書き手は、ちょっと書き方が曖昧というか、ロジックで追えないようなところがあります。

 対して、西脇順三郎いこう、吉岡実や那珂太郎と進んでいくと、明確な詩的ロジックがそこに結晶していますし、鮎川信夫や田村隆一のような「荒地派」だとまた違ったロジック(というか意志)があります。

 対して、歌詞というのはまぁよほどのことがないと、作詞家独自のものになっているはずです。押韻やストーリー構成に凝っているひとは多々いますが、言語的な連鎖とか、表現の建て方とか、そういった目に見えにくい潜在性があり、抽象性の高いロジックが組まれていることはかなり稀れなんじゃないでしょうか。

 「自由に書いてたらなんとなく詩になった」なんてことは、まぁそうそうないということです。

 なので、詩を書きたいというひとは、とりあえず色々と詩集を手に取ってみて好みの詩人を見つけ、その詩人と仲が良い詩人をさらに読み、ということを重ねていくことで、そこに結晶されているロジック(積み重ね)を体感しかつ理解し、また鋭敏に捉えることができるようになるのが良いのではと思います。

 ロジックを読めるのは、ロジックを理解しているひとだけです。なので、詩を読解するためには必ず詩に一定程度は精通していないといけないことになります。

 詩人が書く詩には必ず「」があります。「謎」は他者がかんたんに読み取れないように厳重な施錠がされていることもありますし、大切に「箱」のなかに仕舞われていることもあります。それをこじ開けるのは、各人の「世界の読み方」、その力に大きく依存しています。

 その力は持っていたとしても、だれに褒められるというものでもありません。永遠に謎を読み解けない詩歌だってたくさんあるでしょう。

 でも、それが楽しくてやめられない(FPSやめられない的な)。そういうひとに詩歌は向いていると思いますね。


 

詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/