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文学・詩歌

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文学関連の記事や詩論、詩歌および押韻詩
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#定型詩

詩歌:瓢箪

剝がされてゆく窓の薄氷 開け放たれる赤子たち 戸惑うだけの鳴き声は渇望 無垢からあふれる花の味 洞窟を押し広げる夢は 捨て去られた過去を空想 なんども境界に手を触れた そのたびに眼裏に集光 届かない故郷のクレソンに 鼻を押し当て男と連れションし くだらない冗談を交わす あたかも前世の光景を幻視 しているだろうか、喉下の天使 やさしい手で瓢箪を触る

詩歌:雪と光

風に煽られ木の葉揺れ 身の振るさきなきこの行方 新雪の積る道の白 流れる時の言葉・夢 膨れる新芽の芯の先 開いて閉じては胸をつく ひそか陽炎 詩の灯り ゆっくりこころをほだしつつ 子供の声は記憶のあと 手のひら残る冷たさも 暑さもいつか消えるもの ようようメロディに乗せながら 静かな水辺に遊んでる 憧れのひとの背の広さ 白鳥(はくちょう)の羽か温める 心理のうちに秘める想い

なぜ和歌は57韻律なのか・長短律の機能に関する考察

 こんばんは。Sagishiです。  今回は、和歌の57韻律(長短律)について考察をしていきます。 1 なぜ和歌は57韻律なのか 以前、わたしは「和歌が57韻律なのは漢詩の影響ではなく、日本語の特性に由来すると考えたほうが妥当だ」という主張の記事を書きました。  わたしは、これまで繰り返されてきた「神学論」的な議論からは早く卒業しないといけないと思っています。ゆえに、何かを主張するさいにはその根拠を明示して、議論を生産的にしたいと思っています。  「漢詩影響仮説」が正

詩歌:白鳥の卵

白き翼を陽に広げ 水をはじきて川にふる いづこより君は来たりやと 問へど束の間、北へゆく 青を仰ぎてよろめきぬ 絹絲の如く柔らかなる 翼のたわめき、温かなる 冬の陽射しに輝きて 卵を見しためしにあらず 君の言の葉もえ聞かで 何百何千、渡りゆく 雪降る季節のらうたさぞ 小夜ふけるころ夢見つつ 着水の音のまぼろしに 驚きて川辺見回すほどに 君のすがたをまたゆかし

和歌の57韻律は漢詩の影響? 「漢詩影響仮説」の反証材料をあげる

 こんばんは。Sagishiです。 「日本の和歌の韻律が5音と7音を基調にしているのは、漢詩が5文字と7文字だったからだ」という俗説をたまに見かけます。  一見それっぽい主張で、昔の文学者の小論にも上記のようなことが書かれていることがあります。  果たして、この俗説は正しいのでしょうか。この記事では、この俗説を「漢詩影響仮説」とし、反証となる材料をいくつかあげていきます。 1 57韻律に固定されていない歌謡がある 『万葉集』の巻一は「初期万葉」とも呼ばれますが、天武天

詩歌:自由詩の子ども

 すべての詩には謎がある  謎のない詩には詩はない  遠ざかる景色を部屋  の隅で感じ、コツコツ叩いた窓ガラス 「あなたの感官は、力学に従わない」  自由の葉へと落ちる陽だまり  葉脈を走らせ、空へ枝は伸び、歴史を経た  大輪の花が咲き、生き方に拘らない  新しい道を多くの子が選んだ…けどあなたは自由詩の  ことばかり書いて、古臭い詩語や隠喩で遊んでいるね  すっかり飽きたわたしは、もっと新しい仕事がしたい  未踏の音の霊峰に足跡をつけて、まるで詩の地球儀を  回してい

詩歌:河口へ

 蛇口から落ちる水に手を浸した  顔を洗い、口を漱ぎ、頭を空にする 「何時からだろう、わたしたちは  身の丈以上を求めた」エゴみたいだ  くらべるだけのこころの醜さ「背伸びは嫌」  嘲笑や非難でたがいを遠のけて  正義を振りかざすことが知性なのか、相手を尊重せず  罵倒ばかりが並ぶ社会の手のひらには  あなたは掬われていますか? 余計な一言をはき  自己弁護と雄弁なナルシシズム、語り継ぐ  その生き方を幼子に誇れるのか?「わたしは嫌」  美しく、しずかな眼で、人の子となり